「群像」9月号に書いた文章「戦争のホモ・ルーデンス」について、「週刊新潮」9/24号にて文芸評論家の栗原裕一郎氏が批評に書いて下さいました。
この記事は、ネットでもYahoo!ニュースなどで読むことができます。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ed4e9bfcfa6f923aa824f2af80783e12bfd98a00
https://www.bookbang.jp/review/article/640548
<同特集の金子遊「戦場のホモ・ルーデンス」は、このシステムを、テクノロジーに注目した批評というかたちで追う。
民族学を研究する映像作家でもある金子は、主に映画を素材に、弓矢と槍で繰り広げられる未開戦から、ドローン兵器による最新の戦争までをたどる。「戦い」が「遊び」でもある戦争の本性が追究されているのだが、提示されてくるのは、ビデオゲーム化の果てのような昨今のドローン戦争に至って「遊び」が失われたという逆説である。
「戦闘から身体感覚が失われたときに、戦士たちはホモ・ルーデンスではなくなったのだ。あとに残されたのは、軍隊と兵器というシステムの一部分として駆動する身体の亡霊にすぎないのではないか」>