シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

自作を語る『映画になった男』

拙作のドキュメンタリー映画『映画になった男』の全国公開に合わせて、neoneo webにエッセイを寄稿しました。
全文、下記から読むことができます。

【自作を語る】天才映画詩人の光と影を描く『映画になった男』 text 金子遊
http://webneo.org/archives/50303

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大学に入ったばかりの頃、僕はいつも雑誌「ぴあ」のオフシアター欄をチェックして、アヴァンギャルド映画や実験映画ばかりを観ていた。あるとき、渋谷で伝説的な『初国知所之天皇』(73)が上映されることを知り、渋谷の会場へ観にいったのが最初の原將人体験だった。いまから思えば、それは16ミリフィルムの2面マルチ画面で、108分と見やすい93年版の『初国』だった。当時の僕は、まだ8ミリフィルムで延々と8時間も上映がつづき、監督本人がライブでナレーションとキーボード演奏と歌を加えていく、オリジンとしての『初国』体験を知らないヒヨッコだった。

 その数年後に、原將人による初めての劇映画『20世紀ノスタルジア』(97)が公開されて、この人は本当に天才なんだとつくづく思った。まだ劇映画が35ミリフィルムで撮られていた時代に、主演の圓島努(チュンセ)と広末涼子(ポウセ)に小型のビデオカメラをもたせて、自撮りのように撮らせるカメラワークにびっくりした。あとでわかったことだが、それは前作の『百代の過客』(95)などのセルフ・ドキュメンタリー的な手法を劇映画に持ちこんだ大胆さがあった。そのこと以上に、原將人が作詞作曲した「ニューロン・シティ」という曲のなかで、主演のふたりが「ニューロンバチバチ」「バチバチだよ」と言いあうセリフを聞いて、現代に映像表現における詩人がいるとしたら、この人しかいないと確信した。

 その後、僕は原將人にロング・インタビューして個人映画の本(『フィルムメーカーズ 個人映画のつくり方』)を出版し、彼に私淑しながら、8年以上かけて原さんとその家族を撮り、長編ドキュメンタリー『映画になった男』を完成させた。モーツァルトでもゴッホでも「天才」といわれた芸術家が、決して実生活で幸福であったとは限らない。同様に、この現代の映画詩人にも芸術と生活とのあいだで悩み、作品を撮りつづけることの苦労があるのだとわかった。その撮影には痛みがともなったけれど、原將人の全体像を知るためには残すべきだと判断して、僕はあえて影の部分も作品に入れた。『映画になった男』が、原さんのアートを理解するための一助になればいいと願う。

 本作では、2009年から2017年の間に、山形国際ドキュメンタリー映画祭キッド・アイラック・アート・ホール、APIA40、ライブハウス拾得など、さまざまな場所でおこなわれた原將人によるライブ上映の貴重なシーンの数々を記録している。『MI・TA・RI!』(02)や『マテリアル&メモリーズ』(09)などの作品は、原將人自身がライブでキーボードの演奏、歌、ナレーションをつける作品なので、その場でしか成り立たない一回性の芸術作品になっている。映画は複製技術であるはずなのだが、そこに偶然性と即興性を呼びこみ、自分の作品の強度に変えてしまう稀な形態がここにはある。原さんの身に何かあったら二度と観れなくなってしまう作品群を記録に残さなくてはならないと思った。

 また、原將人の映画に関わった人物や家族へのインタビューを通して、伝説的な作品の数々を映像で振り返っている。特に原さんのお母さんはその後に認知症が進んでしまったので、この映画に収録したインタビューと親子の対話はかけがえのないものとなった。『映画になった男』には、原さんが京都の上七軒の自宅に保管していた、むかしの新聞記事や雑誌の記事をデータ化して挿入している。2018年にその自宅が火事になってしまい、大事な資料や作品のフィルムが灰燼に帰したことは、原まおり&原將人監督の『焼け跡クロニクル』(22)に詳しい。人生には、予期せぬアクシデントが起きるものだ。貴重な資料群を本作に入れておいて本当によかったと思う。

 本作は、原將人が劇映画第2弾『あなたにゐてほしい Soar』(15)を製作しながらも、2000万円の借金を背負い、苦境を脱しようとしていた時期に撮影していた。そして、63歳にして双子の娘が生まれて、京都で新生活をはじめたところも取材した。そこから見えてくるのは、天才映画少年として高校生のときにデビューした映画作家が、50年後に全身全霊をかけて苦闘しながら、1本1本の作品を生みだしていく姿であり、映画にすべてを捧げた潔い人生のかたちである。『初国知所之天皇』のなかに、有名な「まるで映画を見ているようだ」というフレーズがあるが、原さん自身もまた「まるで映画を見ているようだ」とつぶやきながら、70年の人生を生きてきたのだろう。

 ふしぎなことに、原將人という人には身辺に映画になるような出来事が次々に起きる。借金まみれで60歳を過ぎてバイト生活を余儀なくされ、双子が生まれ、車で事故を起こし、火事で全身にやけどを負い、家をなくして家族5人で難民のように流浪する。しかし、そこには深刻さや悲惨さよりは、そこはかとない生のユーモアのようなものすら漂っている。僕はその秘密がいったい何であるのか、『映画になった男』の撮影を通じて迫りたいと願った。しかし、撮影する前からそれが何であるのか、わかっていたのかもしれない。葛西善蔵、嘉村磯多、近松秋江川崎長太郎といった私小説家たちのように、芸術に人生のすべてを捧げた人にしかたどり着くことのできない境地がそこにはある。僕がいくら手を伸ばしても、一生涯手に入れることができないもの。それを原將人は持っている。だから、せめてもの慰めとして、僕は彼の伝記作者になろうと欲したのだ。