シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

死への逃避行 ①

johnfante2009-06-20


B級ホラー映画「Deadly Run(死への逃避行)」(1995・米)を巡る、嘘のような本当の話。
映画「Deadly Run」はVHSやDVDも出ている一般映画です。


B級ホラー映画

 

アトランタに事務所を構える弁護士のサミュエル・ラエル(Samuel Rael)には、一つの野心があった。
いつか金と時間できたら、インディペンデントでいいから、自分の思うような低予算映画を作ろうと思っていたのだ。


そして、1995年にそのチャンスがやってきた。金を自分で集めたラエルは、自分がプロデューサーとなった。
そして以前からあたためていた企画「Deadly Run」(死への逃避行)を製作することにした。
それはB級のホラー映画で、内容もプロットもだいたい決まっていた。
お金がないので、舞台は地元のジョージア州。何人もの女性をつけねらい、次々と殺害を重ねる連続殺人鬼の男についての映画だ。
ラエルは仕事上、犯罪者の弁護をすることが多かったので、彼らの心理や手口について自分は詳しいのだと自負していた。
そして、ヒットの予感と金銭的な成功を夢見て、恍惚となった。

映画製作


しかし、ラエルにはプロデューサーとしての資質が欠けていた。
一応、映画製作するだけの資金を集めては見たものの、スタッフや役者に払うギャラが出そうにない。
だから、なるべく友だちや知り合いを集めて、必要最低限のプロを使って撮るしかない。また、スタッフや役者をどこから集めていいかも分からなかった。
それに、彼には大まかな映画の構想はあったものの、シナリオの詳細を考えたり、設定のアイデアを思いつく力がなかった。だから、これは友人に頼った。


その友人はラエルに弁護の依頼を頼んできた最初の客で、10年来の友人だった。
彼は不法侵入や詐欺など小さな事件を起こしては、その度にラエルに頼ってくるダメ男だった。「何か犯罪についてヒントをくれるかもしれない」とラエルは考えた。
こうしてラエルの「Deadly Run」の製作ははじまり、95年の年内に何とか完成にこぎつけて、B級ホラーとしてビデオリリースした。
しかし、映画の内容はあまりに凡庸で、何の話題にもならなかった。
また、借金を払うのが精一杯で、ほとんどのスタッフにギャラを支払うこともできなかった。こうして、ラエルの分不相応な夢は潰えたかに見えた…。


イカー失踪事件


2008年1月1日のこと。
24歳のメレディスエマソン(Meredith Emerson)は、ジョージア州北部にあるヴォーゲル自然公園へ、自分の犬「エラ」を連れてハイキングに出かけた。そして、そのまま失踪した。
両親の依頼で、彼女の捜索がはじまった。捜索を担当したのは、ジョージア州検察局のジョン・バンクヘッド(John Bankhead)と彼の捜索チームだった。
1月4日。メレディスの飼い犬である黒のラブラドール犬が、彼女が最後に目撃された場所から50マイル離れた、コンビニの前で見つかった。
犬はインプラントマイクロチップを入れており、警察によって「エラ」だと確認された。



同日、メレディスのフリースのジャケットと、血まみれの車のシートベルトが、別のコンビニのゴミ箱のなかから発見された。
そのコンビニでは、公衆電話を使っていた怪しい男の姿が目撃されていた。
彼は自分の車である2001年型のシェビーのミニバンに掃除機をかけて、シートの汚れを落とそうとしていたように見えたという。捜査当局は画家をやとって、目撃者の証言をもとに似顔絵を制作した。 
1月6日。バンクヘッドと彼の捜索チームが、失踪地点から5マイル四方をくまなく探した結果、メレディスの車を発見。
1月7日。失踪地点から30マイル離れたドーソン郡の自然公園の森の中で、死体となって発見された。
死体は森の中に捨てられていた。検死官は、彼女が鈍器で頭部を何度も叩かれた後、首を切断されたものと考えた。


失踪事件から残酷無比な殺人事件へと変わったこの事件は、逐一、CNNやその他メディアによって全米に報道された。
容疑者の似顔絵も放映された。
そして、この報道を、固唾を飲んで見守っていた4人の男たちがいた…。



(右が公開された似顔絵)