シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

死への逃避行 ③

johnfante2009-07-03


犯人逮捕


捜査当局のバンクヘッドはラエルが共犯ではないことを確信し、ゲイリーが映画のために提供したアイデアが、どれだけジョージアでの事件やその他の事件に似ているか、ということに改めて驚かされた。
捜査陣はゲイリーが連続殺人を犯したのではないかと考えた。そして、他の2件の殺人事件とのつながりを証拠づけていった。
3つの事件において、死体が森の中に捨てられていることや犯行の手口が、ラエルとゲイリーの映画と酷似していた。 


1月中旬。こうして複数の証言、目撃者、似顔絵などが決め手となって、ゲイリーはバンクヘッドの捜査チームによって逮捕された。
1月31日。ゲイリーはメレディス殺しを自供した。
その代わり、司法取引をして死刑を免れ、ジョージア州では無期懲役刑になった。


事件の真相


メレディスの切断された死体が発見されたのは、映画のロケが行われた場所から、南西に30マイル離れた地点だった。
ゲイリーはメレディスを殺す前に、映画と同じように3日間彼女のことを監禁していた。
ゲイリーは司法取引の結果、捜査官をメレディスの死体を捨てた場所に案内した。
また、物的証拠としては、発見されたメレディスのフリースのジャケットと血まみれの車のシートベルトが、ゲイリーのミニバンの血痕と一致した。
彼は自分の車であるシェビーのミニバンに掃除機をかけて、さらにシートの汚れを落とそうとした。そのミニバンは後部座席のシートベルトがなくなっていた。


メレディスは山中で激しく争った後、誘拐されて駐車場まで運び下ろされた。彼女はそこにバンを止めていた。
ゲイリーは彼女の車のなかから財布を探し、銀行カードとクレジットカードを手に入れた。
それから2日ほど、ゲイリーはメレディスに運転をさせて、ジョージア北部を何箇所かまわった。メレディスは何とかゲイリーを捕まえさせようとして、わざと嘘の暗証番号を教えたりした。
「彼女が女で、ひとりで歩いていたから襲った。目的はカードと暗証番号を手に入れることだった」とゲイリーは自供している。



1月4日、ゲイリーはメレディスに「解放してやる」と言った。それから、ドーソンの森の中に連れて行き、縛りあげた。それからわざと逃がし、追いかけて、自分のミニバンのなかにあったジャッキで彼女の頭を死ぬまで何度も殴った。
彼のアイデアで作られた映画「Deadly Run」を、そのまま再現したかのような犯行の手口だった。そして、ゲイリーは「法医学的な目的のために」彼女の首を切断したという。
ゲイリーは最後まで自分のものにならなかった映画を、現実世界の中で実現しようとしたのかもしれない。


エピローグ


「彼は生来の犯罪者なのでしょう」とラエルはいう。
「そして、彼は精神的な病質者だったのかもしれません。ですが、私が知っている頃の彼は、ハッピーで行動的な人間でした。彼は率直な人だったですから。
たしかに彼は犯罪に関する何か本能的なものを持っていましたが、決して暴力的だったわけではありません。それに関しては、私が間違っていたというしかありません」
「映画が今となっては、私のアイデアだったか彼のアイデアだったか、よくわかりません。どっちにしろ、映画制作全体を通して、彼こそが全面的に協力してくれて、私が何をすべきかを指示してくれた人間なんです」


「何が恐ろしいって、ゲイリーの妄想を借りて、ホラー映画なんかをつくってしまったことです。映画なんか作らない方がマシでした。こんな恐ろしい人間と製作していたと考えるだけで、体が震えてきます。
どうして、ゲイリーは長年あたためていた妄想を、実行に移してしまったのでしょう。金がなくて困っていたのは分かりますが、こんなに異常な犯罪をおかす前に、何か歯止めになるものはなかったのでしょうか」
ゲイリーはすでにジョージア州無期懲役刑が確定しているが、フロリダでは当局の望みどおり死刑判決になりそうである。また、ノースカロライナの事件でも起訴される見込みである。



昔、ゲイリーは愛犬家でアウトドア好きだった、とラエルは言う。
「ゲイリーは野外に住んでいるようなもので、私の家に遊びに来るときは、ほとんどシャワーを浴びに来るようなものでした」
その頃、ゲイリーはアトランタにある貯蔵所のような場所に住んでいた。その頃のゲイリーの写真を何枚かラエルは持っている。ゲイリーはハイキング服を着て、健康的に日に焼けて肌に、またそれが似合っている。
ラエルはゲイリーが逮捕された2日後に、ドーソン郡刑務所に彼を訪ねていった。ゲイリーは何人もの捜査官に囲まれていた。


2人の会話は弾まなかった。
ゲイリーはただ「来てくれて、ありがとう」と言っただけだ。
「私はいまだに信じることができません。私たちが友人同士だった頃、彼はあんなに快活で生気にあふれた創造的な人間だったのですから」