海上の道 ①
- 作者: 柳田國男
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1978/10/16
- メディア: 文庫
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右写真は宝貝の一種。
詩的感受性
小林秀雄は「信ずることと知ること」(『考えるヒント3』)というエッセイのなかで、柳田國男の感受性に感動したと書いている。
柳田國男がその著書『故郷七十年』でいうには、十四歳の頃、死んだおばあさんを祀った祠を開けたときに、中風だったおばあさんがいつも使っていた蝋石を見て発狂しそうになったという。
小林はこの石におばあさんの魂を見るような感受性がなかったら、柳田の学問はなかったと喝破した。
高級落語ともいわれた小林秀雄の語りが楽しめる「信ずることと知ること」の音声
柳田の最後の著作『海上の道』についても、同じようなことがいえる。
それは学問であり、同時に文学でもある。「海上の道」の三節に、風の名前を集めたという件がある。
一度、筆者が七月に下北半島のつけ根を旅したときに、太平洋に吹き降ろすヤマセの冷たさと霧の深さに驚かされた。
風を集めることは詩的表現にも聞こえるが、実際的な収集の作業でもあるのだ。
椰子の実と宝貝
六節では、海に漂着する寄物について考えている。
柳田は伊勢湾の突端に立ったときに、漂流物のなかに椰子の実を見つけたという。
それを運んできた南からの海上の道を考えれば、日本人の起源がわかるのではないか、と透視するのだ。
たしかに全国に寄りだまりのような浦々がある。土佐、紀州、西伊豆の浦にはアイヌ語的な地名を持つところも多い。
西伊豆でいえば土肥、宇久須、安良里などである。イルカを食す風習もこの辺りには残っている。
それでは人々は何を求めて海へ出て行ったのか。
互いの島が見えるほど近いわけではないのに、船出をすることが出きたのか。一つには宝貝の魅力があると柳田はいう。
秦の始皇帝の時代になり銅を貨幣に鋳るようになるまでは、中国の人々にとって宝貝は至宝であり、それを収集しに来たというのだ。
アフリカやベトナムでも貨幣として使われていたという調査もある。
もう一つは十九節でいうように「占いや夢の告げ、鳥や獣の導きによって、未来の安住の地を見立てた」と考えている。
このようなイマジネーションの力がなかれば、たしかに柳田民俗学は成り立たないのである。