シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

海上の道 ②

johnfante2009-03-20

月と不死 (東洋文庫 (185))

月と不死 (東洋文庫 (185))


上は柳田國男の弟子筋にあたるニコライ・ネフスキー宮古島などについて書いた著書。

宮古島


海上の道」の十七節で、柳田國男の話題は宮古島におよぶ。
「始めて大陸から人の漂着したのは、この島ではなかったろうか」という仮説を述べている。
その根拠は、宮古島の周辺には干瀬が広がり宝貝をはじめとする貝類の産地で、アヤゴのような語り物を採集すれば、この仮説も検討に値するものと認められるのではないかという。
柳田國男が九州から八重山までのフィールドワークを敢行したのは一九二〇年のことだが、二二年にはニコライ・ネフスキーというロシア出身の弟子が、その根拠を求めて宮古群島への旅に出たのだ。


ネフスキーは「根間の主がアヤゴ」という宮古で知られる歌を狩俣村などで採集した。
それは根間(ニーマ)の主と呼ばれる土地の首長が船に乗って沖縄の那覇を訪ねるとき、妻が別れを惜しみ、無事を祈ってつくった恋歌だった。
島人の海上の活躍は昔からあったのだ。
宮古島には狩俣と統合される前に根間という地名があり、現在でも根間の名字を持つ土地の人は少なくない(『宮古フォークロア』)。
島に伝わる伝説によれば、根間の主は壇ノ浦で負けた平家の落武者で、一種の貴種流離譚になっている。


ニライカナイ


この根間の「根」は根国信仰の根と響きあう。
「海神宮考」で柳田は南西諸島の常世信仰、ニライカナイについて考察する。
「ニライ」は非常に遠いという意味の他に、根の国=死者の国のことであり、「カナイ」には彼方という意味がある。
ニライカナイは遥か東の海にある異界で、人の魂はここから来てここへ帰る。
年に一回、神が渡ってくるのこもここからだ。
これを柳田國男は本土の神話である根の国とつなげようとした。
常世信仰があるのは、沖縄は互いの島が目視できるほど近くはないのだから、それらを繋ぐ何らかの線があったはずだと考えたのだ。


海上の道』の末尾にある「知りたいと思う事二三」に、柳田の説を裏づけるために解明すべき事がメモしてある。
それによれば、宝貝子安貝、イルカの他に鼠をあげている。
鼠が海上をわたって島から島へ移ったという「鼠の浄土」のモデルがどこにあるのか。
新井白石は「ねずみ」は「根の国」と縁のある言葉だというが、「根の国」は海を島伝いに本土へ伝承されてきたのか。
あと、八重山諸島弥勒の出現を海から迎える行事があるが、これらがニライカナイ遣唐使船とどんな関係をもつのか。
現在では、稲の伝来は朝鮮半島という説が有力になってしまったが、それを抜きにしても「海上の道」は充分に考察に価するものとなっている。