シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

露口啓二写真集

johnfante2009-10-29


『露口啓二写真集/Blinks of Blots and Blanks/ICANOF2009』
全カラー・320ページ 定価(税込み)2500円(本体価格2381円)
ISBN978-4-903301-04-4 C0072 ¥2,381E

北海道と風景


2009年の夏は、北海道で半月を過ごした。
ものすごいスピードで旭川、北見、網走、羅臼根室、帯広へと移動していると、或る音楽家がエッセイ集で書いていたことを思い出した。
「北海道は物語のなかの架空の場所か、映画のための広大なオープンセットなのではないか」と。


北海道を車で走っていると異国に迷い込んだような気がする。それでいて、どこまで行っても同じような風景なのだ。
それは、この土地が歴史的に押し付けられたグローバル化の産物であることは分かっている。
しかし、全道どこまで行っても一律によく整備されているということは、裏を返せば、たとえば斜里と稚内の町を、留萌と室蘭の街角を比べたときに、「風景」として俄かには違いが判然としないということである。


露口啓二の「地名」


そんなことを考えていた矢先に、露口啓二の写真集を手にとった。
「地名」という写真シリーズでは、キャプションに地名の漢字表記、ローマ字表記、アイヌ語のローマ字表記と意味が付けられている。
これは無論、現在の地名がアイヌ語に由来するからだが、アイヌの人たちは関心するほど地名を的確につけている。


写真集によれば、たとえば二風谷アイヌの平取(びらとり)は、「崖の・間」という意味であり、知床半島羅臼は「魚の内臓・あるところ」という意味だそうである。実にうまい。
つまり、北海道の大地には平準化された表面の層と、かつての生き生きとした生命の漲る古層とが重ねられているのである。
露口氏の写真も一見何の変哲もない風景を撮っているようで、実に巧みに地形を読み取りながら、かつての北海道の記憶へと慎重な足どりで少しずつ歩を進めている。


「ON -沙流川-」


とはいえ、地名を頼りに土地の記憶を喚起させていく方法自体には、それほどの独創性があるとは思えない。
むしろ「ON -沙流川-」のシリーズに至って、写真が凄まじいまでの凝集性を見せるようになるのは、何か得体の知れぬものに、写真家が突き当っていたからではないか。
姿かたちを変えて変転する水をめぐるシリーズであるのだが、ここでは温度や湿度、土の湿り具合や粘つきが密度を持ち、光と影と色彩となって見る者に迫ってくる。


このシリーズにいたると、写真家はもう地名の意味を問うような真似はしない。ただ、片仮名表記でその地名の「音」を差し出すだけである。
手前にある対象のフォーカスを大胆に外し、奥行きを出すなど、かなり実験的な手法も取り込んでいる。
薄暗い、湿った、陰湿な北海道というのは、ただ表面を移動しているだけでは見えないものだろう。
やはりここに見られるものは古のアイヌの人々のように、写真家が自分の足で歩いてたどり着いた何かではないのか。
それを言葉にしてしまうと多くが失われてしまうが、あえて逆立した物言いをすれば、露口啓二は北海道の「東北性」に突き当たったのではないか。
それは続く「オホーツク・シモキタ」の写真シリーズが、異なる土地の写真を混在させながら、一つのトーンを保っている点からもうかがえることである。