シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

断腸亭日乗 ①

johnfante2010-04-29

岩波文庫の摘録で『断腸亭日乗』(永井荷風)を読み継いでいる。
これを読んでいると、日記と日誌の違いは何であろうと考えてしまう。
大辞林」「大辞泉」などの辞書によれば、「日記」が個人的な毎日の記録であるのに対し、「日誌」はより業務的な内容のもののことを指すいう(学級日誌、航海日誌など)。
また、「日誌」には物事の帳面という性質もある。
断腸亭日乗』は個人の日記文学であるが、それと同時に、公人としての作家・永井荷風の業務内容や帳面を記したものでもある。
他人に読まれることを前提にして書かれたものであるからだ。
作家にとっての「帳面」とは何であろう。それは文章を書くための元になる素材を集めることである。



「壺中庵記」の「壷中庵」は、荷風が囲いものにした二十歳すぎのお歌という女の妾家のことである。
最初この小文は「主人」という三人称で書き始められ、そのまま小説に転用できるような文体で書き進められるのだが、最後にその主人とは荷風本人であると明かされる。
これは荷風の一種のおのろけ話なのであるが、こういうところは日記ならではの味がある。
お歌が病気になり、ほとんど狂女となって再会するシーンは、荷風の散文作品かと見まがうほどの緊張感の高さがある。
続いて、西洋人の男性を好む、当世風の銀座のカフェの女給お道の身の上話が書かれているが、明らかにこのようにして題材の備忘録的に使っている面があるようだ。


荷風のならではの視点から、容赦なく文明批評がくわえられるのも『断腸亭日乗』の魅力の一つである。
一介の労働者が書面を自宅へ送り、原稿の添削をしてほしいと面会を求めてくるくだり。
文学志望者を根絶する話から、自分の文章を発表しないことにしようと考え、これを関東大震災後の世相の変化だと捉える。
また、かつては若くして老人の妾になる女を馬鹿にしていたが、これも賢い選択であり、東京や巴里などの文化の爛熟した都会にしか見られない現象だという一人よがりな文明批評。
あるいは、世の文学者は下宿屋とカフェしか世間を知らず、人間のうちで最も劣等な連中だと罵るあたりも、荷風ならではの独我性がよく見える箇所となっている。