シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

BTK (縛り、拷問し、殺害する) ③

johnfante2006-07-27

BTK キラー [DVD]

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逮捕の衝撃


 同じ地域に居住し、同じ教会に通っていたデニス・レイダーが連続殺人犯として逮捕されたことを受けて、この事件がルーテル派教会に所属する人々にどのように影響し、教区の人たちの感情にどのように反映しているかを、対話を通じて調査するために、緊急救助チームがウィチタ市に派遣された。
 カンサス州とミズーリ州の教会会議の監督(カトリックで言うところの主教)を務めるジェラルド・マンスホルトは、「確固たる証拠が出てくるまで辛抱強く待ちましょう」と群衆の前で話した。
「この州にある教会という教会は、今回不幸に直面しているルーテル派教会の会員のみならず、BTKの犯行による犠牲者とその遺族、そしてデニス・レイダーの家族のためにも祈りを捧げなくてはなりません」とマンスホルトは説教した。

クラーク牧師とBTK


 ルーテル派教会のクラーク牧師は、「これから良いことがはじまるのだと信じています」と話す。
 その証拠に、この7年間まったく連絡を取り合っていなかった兄弟のトムが、ラリー・キング・ライブというテレビ番組でクラーク牧師が電話インタビューを受けているのを見て、連絡をしてきてくれた。
「マイク、君かい? 俺だよ、トムだよ。ちょうど君が出ているテレビを見て、電話をしたくなったんだ」とトムは言った。
 さまざまな宗派を越えた教会から、クラーク牧師に対して支援の声が寄せられており、それが彼の心を激励するという。
「人生でもっとも屈辱的な経験でした。でも、宗派を越えた支援の輪は圧倒的な力をもっています」とクラーク牧師はいう。
 クラーク牧師の最大の務めは、むろん教区の会員を導くことであるが、それと同時にこの事件の法的な調査に協力し、世界的にメディアが寄せる関心に対して、でき得る限り応えていく義務と責任があるとも考えている。


 クラーク牧師は定期的に、拘置所にデニス・レイダーを訪問している。
 デニス・レイダーは彼の妻および子供に関して、牧師にくり返し尋ねてくるという。2月25日の逮捕以来、デニス・レイダーの家族は彼と口をきこうとしない。
「これは魂を粉々にするような経験です」とクラーク牧師は形容する。
「残されたデニス・レイダーの家族も何とか立ち直ろうと努力しています。特に妻のポーラ・レイダーは極端な不信と当惑と混乱のなかにいます」。
 教会の聖歌隊で歌をうたっていた妻のポーラと、娘のケリーはミシガン州で人目を忍んでいる生活している。デニス・レイダーの息子であるブライアンは、自殺をしないように観察保護下においてあるという。

BTKの余罪


 BTKの正体であるデニス・レイダーが逮捕され、彼が証言したことにより、70年代に起こった7件のほかに、BTKの犯行に新たに3件の殺人事件がリストに加えられることになった。
 マリーン・ヘッジ(53)は行方不明になった8日後の85年4月27日に、パーククシティの砂利道において絞殺死体で発見された。
 近くに結び目のついたパンストも見つかった。彼女はデニス・レイダーの家と同じ通りに住んでいた。
 翌86年の9月16日には、ビッキー・ウェガリー(28)が、自宅のベッドで絞殺されているところを彼女の夫によって発見された。家にいた2歳の息子は無事だった。
 デロアース・デイヴィス(62)は、行方不明になった13日後の91年1月19日に、パークシティの橋の下で、手足膝をパンストで縛られた絞殺死体で発見された。
 殺人魔は77年に出した犯行声明を最後に沈黙をしていたかに見えたが、その後も着実に残忍な犯行をくり返していたのである。

懲役175年の実刑判決


 デニス・レイダーは85年のマリン・ヘッジ殺し、91年のデロアース・デイヴィス殺しを自供し、合計10件の殺人容疑で起訴された。
 法廷ではまったく争わず、すべてを認めた上で2005年8月18日、終身刑を宣告された。
 175年間の禁固刑である。
 カンザス州では94年に死刑制度が復活されたが、彼の犯行はすべてそれ以前のことである。
 彼が素直に自供したのは、死刑にならないことを知っていたからであろう。ひょっとしたら捕まって有名になりたかったのかも知れない、と推測する向きもある。
 BTKももう60歳である。
 残りの人生をバーコウィッツ(「サムの息子」と呼ばれる全米で有名な殺人犯)のように有名人として過ごしたいと思ったとしても、何ら不思議ではない。
 もし、BTKが2004年にフロッピーディスクを地元テレビ局に送りつけていなければ、ウィチタ市近郊ばかりで起こった合計10件の殺人事件はいまも未解決で終わっていた。
 デニス・レイダーという犯人に、これほどまでの犯罪に対する強い自己顕示欲がなければ、殺人魔はまだ善良な市民として生活し続けていたことであろう。


《参考》People誌 2005年5月号