シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

マーダーボール ②

johnfante2007-09-21

マーダーボール オリジナル・サウンドトラック

マーダーボール オリジナル・サウンドトラック

2002年の世界大会


2002年、スウェーデンイエテボリにて開催された第11回ウィルチェアーラグビー世界選手権大会。
これまでの世界大会はアメリカが10年連続で優勝。
トーナメント3日目、全勝で勝ち進むアメリカは、世界ランキング5位のカナダと対戦することとなった。


カナダ代表チームでは、かつてアメリカ代表として数々の偉業を成し遂げたジョー・ソアーズが監督を務めていた。
ジョーはアメリカ代表から戦力外通告を受けたことに納得できず、無断でカナダへ渡り、監督に就任していたのだった。
元チームメイトとの対戦を前に「アメリカの戦術は古臭い」と、闘争心を剥き出しにするジョー。
そんなジョーに対し、「彼は道端の火だ。小便で消してやる」とマークたちは罵り、アメリカ代表チームの作戦やサインを持っていった“裏切り者”だと反発心を強めていた。


試合は接戦の末、最終ピリオドへ。
同点となり、残り時間30秒を切ったところでカナダが得点。
残り時間10秒、アメリカの最後のパスは通らずに試合終了、カナダが勝利を収めた。
初めて味わう敗北に打ちひしがれるアメリカ代表メンバーだったが、2004年アテネパラリンピックに次の目標を定め、カナダを倒し、再び世界の頂点に立つことを誓う。


それぞれの顔


同じ頃、ニュージャージー州のケスラー・リハビリ・センターに入院しているキース・キャビルは、4ヶ月前にバイク事故に遭って以来、リハビリ生活を送っていた。
靴を脱ぐ事すら自分でできないという現実に絶望する日々。
アメリカ代表チームのスコットは言う「最初の2年が一番辛い。治療が終わって退院しても、体はほとんど動かず、何ひとつできない。3〜4年は自立のためのリハビリだ」。
また、「退院してから彼女とどうやってSEXしたらいいのか?」と悩むキースには、リハビリの一環として性生活のレッスン・ビデオも用意されていた。


一方、マークは高校卒業10周年の同窓会に参加していた。
そこにかつての親友クリス・アイゴーの姿はない。
11年前、サッカー部の祝賀会で泥酔したクリスの運転する車が事故を起こした。
荷台にいたマークは車外に放り出され、13時間運河の枝に捕まったまま、ひたすら救出を待った。一命を取り留めたものの、マークの体には四肢マヒ障害が残る。
それ以来、二人はお互いの正直な気持ちを話し合う機会を失ってしまったのだ。しかし、長い年月が経った今、クリスは当時の事故と正面から向き合うようになっていた。マークはそんなクリスをアテネパラリンピックへと招待する。
アテネパラリンピックまで3ヶ月。カナダ・バンクーバーで行われたシード決定戦で、再びアメリカとカナダが対戦。今度はアメリカが勝利し、第一シードの座を奪還する。


2004年パラリンピック


その後、マークはニューヨークの病院を訪れ、ウィルチェアーラグビーの説明会を開催する。そこにはキースの姿もあった。最初はためらいがちなキースも、「俺は車いすになってからの方が活動的になった」と話すマークや競技用の車いすの造形に魅了され、ウィルチェアーラグビーに興味を持つようになっていく。


そして遂に2004年のアテネパラリンピックが始まる。アメリカ代表チームは、5日間でドイツ、ニュージーランド、日本、オーストラリアを撃破、いよいよジョー・ソアーズ率いる宿敵カナダ代表チームとの対戦を迎える。
果たして因縁の対決を制するのはどちらの代表チームか。
カナダ4勝、USA4勝で迎えた直接対決。序盤はUSAが試合を支配するが、終わってみれば4点差でカナダの勝利。悔しい涙に、顔を上げられないマーク・ズパンだった。
この大会で世界ランキングはまた入れ替わった。結局、ラグビーの国ニュージーランドが金メダル。カナダは銀。イギリスを3位決定戦で下したUSAは銅メダルを受賞した。


マーク・ズパンはUSA代表チームのスポークスマンに就任し、カナダ代表チームの監督のジョー・ソアーズは、アメリカ代表チームに入らないかと誘いを受けている。
親友のクリスは毎日のようにマークと会話するようになり、アンディ他USAチームは2008年のパラリンピックを目指して、練習に励んでいる。