シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

猿面冠者

johnfante2008-04-29

晩年 (新潮文庫)

晩年 (新潮文庫)

 


※右写真は銀座の文壇バー「ルパン」の太宰治

「猿面冠者」(『晩年』所収)


太宰治のこの初期の短編を読んで思い出すのは、フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』という小説のことです。
八十年代にはハリソン・フォード主演で「ブレードランナー」という映画にもなっています。


この小説のなかでアンドロイド狩りをする賞金稼ぎのハンターは、人間そっくりなアンドロイド(クローン人間)を見分けるために「共感ボックス」という機械を使って「感情移入度」テストを行います。
誰もが驚くような残酷な話をしながら、相手の瞳孔の動きを観察します。
自分に関係ない話でも、感情移入して心を動かされるのは人間だけだという前提があるのです。

感情移入


太宰治の小説の魅力は、言うまでもなく読者に共感というより、強烈な感情移入を覚えさせることです。
それはときに「この小説は自分だけのために書かれたのではないか」と思わせるほどです。
しかし「猿面冠者」をよく読んでみると、主人公の「男」は大抵「自分」とはちっとも似ていません。


主人公は、古本屋に売ったチェーホフの本を読み返したくなって、未練たらしく自分が売ったその本を立ち読みしたり、英語教師の歓心を買うために、高校生のくせに「かつて葛西善蔵は言った」というような、生意気な自由作文を書いたりするのです。
「自分」とはかけ離れた経験が書かれているにもかかわらず、この主人公の経験は自分自身のものだと思えるほど、感情移入度が高いものになっています。



高度な技巧


「猿面冠者」という小説には高度な技巧的な裏づけがあります。
一見、葛西善蔵のような私小説のテイストが満載ですが、「男は」とか「彼は」という主語を使った三人称で書かれたフィクションです。
小説を書く人の楽屋話のように見えて、読者の目線より一段低いところで主人公を卑小に描き、おどけてみせて、読者が感情移入しやすいように工夫しています。
この短編を収めた最初の本『晩年』について、太宰はこんなふうに言っています。
「私はこの短編集の一冊のために、十箇年を棒に振った。まる十箇年、市民と同じ朝めしを食わなかった」
「私はこの本一冊を創るために生れてきた」


『晩年』に収められた短編は、二三歳から二七歳くらいの時期に、同人誌や懸賞小説に書かれたものがほとんどです。
「猿面冠者」も同人誌に発表されました。
周囲の小説や批評を書く仲間を感心させ、頭角を現すには、「シェイクスピアは言った」みたいな当たり前のことを書いていては駄目で、読者の意表を突くような技巧が必要だったのでしょう。
そういう環境のなかで、太宰は自分の小説を読ませる技術を身につけていったのではないでしょうか。


アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))