シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

ラスベガスをぶっつぶせ ④

johnfante2008-06-09

カジノは奴らを逃がさない!

カジノは奴らを逃がさない!


ノンフィクション小説「ラス・ヴェガスをブッつぶせ」の続編。
前編とは別のMITブラックジャック・チームのストーリーで、全米ベストセラーになった。
原題は「Busting Vegas」

カジノ側の対抗策


無論、カジノ側もカード・カウンターの存在に神経をとがらせ、対抗措置を講じていた。その一つが1デックや2デック(使用カードの少ない)のテーブルにおいてMid Entry を禁止することだった。
Mid Entry とは、シャッフルとシャッフルの間のタイミングでプレーに参加することだ。これは見学型カード・カウンティングの阻止に有効である。
そうでないと、プレーせずにゲームの進行だけを見学して、残りの山(未使用カード)の中に絵札などの有利なカードが多く残っている状態になった時だけ、ゲームに参加することができてしまうのだ。


また「早めのシャッフル」「浅めのペネトレイション(Penetration)」を心がけるようになった。Penetrationは全体のカードの枚数に対して、次のシャッフルまでに何枚程度までゲームに使用するかを意味する。
たとえば6デック(52枚 X 6)でプレーしている場合において「Penetration 80%」といえば、約250枚使用した付近で次のシャッフルを行なうことになる。


Penetration が深くなればなるほど、カード・カウンターにとっては、次のカードを予測しやすくなり有利になるわけだが、実際にはカジノ側はそれを防ぐためにこの量をあまり深く設定しない。
ただ、あまり浅くしてしまうと、シャッフルを頻繁に行なうことになり、シャッフルに時間が取られる分だけ1時間当たりのプレーの進行が遅くなり、収益に悪影響を及ぼしかねない。
一般的には6デックの場合70〜80% が普通だが、警戒心の強いカジノやカード・カウンターがプレーしていると思われる場合などは、これが50% ぐらいになったりする。


正体がバレた?


97年秋になるとケヴィンはボストンの会社に就職した。ヴェガスは二の次になった。
フィッシャーたちと心の溝ができていた。しかし、25歳の彼にはヴェガスの生活が染み込み、ブラックジャックを捨てることもできなかった。
ある週末、ケヴィンがヴェガスのリゾート「ニューヨーク・ニューヨーク」へ行くと、カジノ・マネージャーが出てきて追い出された。他のカジノでも同様で、チップを換金すらしてくれなかった。
一方、マルティネスはホテルの部屋で女子大生の腰に手をまわしているところを、ホテル=カジノの警備員に追い出された。顔認識ソフトが出回る時代がやってきたのだ。
カジノに雇われた銀髪の探偵ヴィンセント・コールがMITチームの1人1人の写真と身分をつきとめ、そのリストがカジノ側に渡っていたのだ。


98年のバレンタイン・デイ。
フィッシャーの召集でチームは、MITの教室に集まった。チームは活動を休止し、混乱状態に陥っていた。活動できるカジノはまだあるが、包囲網は急速に狭まっていた。
メンバーの前でフィッシャーがひどく太った男を紹介した。ハリウッドの特殊変装道具、メイクと脂肪スーツを使っており、マルティネスと分かるのは目と髪だけだった。


2月の第3月曜日、プレジデント・デイにメンバーは再びラスヴェガスへ飛んだ。
ケヴィンは長髪をポニーテイルにし、間の抜けたヤギ髭を生やしていた。2000ドルからはじめたケヴィンは遠征の損失を一挙に取り戻すつもりだった。
大勝ちしたマルティネスがホテルの部屋に戻ったところ、ドアを破ってホテルの警備員が急襲した。
なぜか変装は見破られ、彼らの行くところには警備員とパトカーまで姿を現した。いつの間にか彼らはミッキーと同じ「恐竜」となっていたのだ。



包囲網が狭まる


3日後、ケヴィンは会計監査通知を受け取った。
調査官と会うための日取りが書いてあった。1万ドル以上の換金には報告義務があった。ギャンブルの勝ちはすべて申告してあったが、これが当局のしめつけ方なのだ。
 ケヴィン、フィッシャー、マルティネスの3人は、自分たちが裏切ったミッキーに会いに行った。ミッキーはチームの内部の者が「たった25000ドルで君たちを売ったのだ」と言い、白黒写真と偽名、本名、その他の情報が入った小冊子を見せてくれた。最重要手配リストのようだった。


チームは分裂した。
フィッシャーとマルティネスはチームを率いて、アトランティック・シティ、ニューオーリンズなど地方まわりをしていた。
しかし、遠征先のバハマでマルティネスが半殺しにされる目にあった。もう彼らが安全に「仕事」をできるカジノはないのかもしれなかった。


ケヴィンは規模を小さくして、社会人のディランとジル夫妻と小遣い稼ぎ程度に、安全な場所だけでカウンティングを続けることにした。
しかし、98年6月にディランとジル夫妻の家に空き巣が入った。他のものは盗まず、75000ドルの現金の入った金庫だけが盗まれていた。
夫妻は金も地位もあり、リストを悪用する恐れのある者から見れば、一番襲いやすかった。ケヴィンは急いで家に帰ったが、自宅は無事だった。金はすべて銀行に預けてあった。
キッチンのテーブルに1枚の紫色のチップが置いてあった。あわてて窓外を見ると、建物の影に携帯電話で話す人影があった。
「カード・カウンターの決断でもっとも重要なのは、場を離れるという決断だ」とミッキーが昔言った言葉を思い出した。ケヴィンは二重生活からの引退を決意した。



MIT流カードカウンティングのやり方


夢の終わり


そして、テクノロジーがついにカード・カウンターたちを追い越した。
カジノ側のエンドレス・シャッフルマシンの導入である。ディーラーがシャッフルする代わりに、機械にシャッフルさせるのだが、これにはもっと深い意味がある。
マシンを導入しているテーブルででは、1ゲームごとに使い終わったカードをそのマシンに入れて、カードを常時シャッフルしながら、次のゲームで使うカードを選び出す。


つまり、デック(組)やシューごとの区切りがなく、カード・カウンティングの戦略が根本的に意味を成さなさないのだ。
これはカジノ側がカード・カウンターに対して有利な立場になるだけでなく、シャッフルのためにゲームが中断することがなくなり、結果として1時間当たりのプレーの回数も増えて、カジノにとっては収益が増えるという一石二鳥の効果がある。
こうして黄金時代は幕を下ろした。


ケヴィンは過去を振り返る。
1年にヴェガスへ20回の遠征旅行。20回のウィークエンドをカジノで過ごした。1回の遠征で40時間のプレー。1時間のプレー回数は60回。
計算すると、1年間にヴェガスだけで4800回もブラックジャックをプレーしていたたことになる。ケヴィンがヴェガスで稼いだ額は100万ドルを超えるという。



フィッシャーのモデルとなったMike Aponteのインタビュー



※ケヴィン・ルイスの本名はJeff Maと判明している。彼はMITを卒業後、ProTradeという会社を興し、市場シミュレーション・ゲームの開発などをしている。


※スティーブ・フィッシャーの本名はMike Aponte。カード・カウンティングのプロとして生活した後、2004年のブラックジャックワールドシリーズで優勝。ブラックジャック研究所という会社をはじめ、関連製品やサービスを提供している。