シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

チェーホフと田舎暮らし ①

johnfante2008-07-24

すぐり (チェーホフ・コレクション)

すぐり (チェーホフ・コレクション)


「すぐり」


チェーホフに「箱に入った男」「恋について」とともに、三部作を成す「すぐり」という作品がある。
この短編のなかで、語り手のイワン・イワーヌイチが話す「弟ニコライの田舎暮らし」には、チェーホフ自身の実人生が反映されているようだ。
というより、この弟ニコライはどうやらチェーホフ自身がモデルのようなふしさえある。


農奴の家系


チェーホフ伝』によれば、チェーホフの父親のパーヴェルは食料雑貨店をやっており、ロシア正教の信仰心の厚い人で、しばしば六人の子供たちに体罰を与えた。
父方の祖父母は農奴だった。
仕事一筋の働き者で、読み書きも算術も独学で覚えて、領主の管理人にまで出世した。
そうしてお金を貯えて、自分と妻と三人の子供たちの自由を一人あたり七百ルーブリで買い取った。


チェーホフ農奴だった祖父母の話を聞いて育った。
また、父親の子供たちへの愛ゆえに折檻や仕置きする性癖は、農奴時代の領主からされた仕打ちに由来しているようだ。
チェーホフは医者だったが、それだけでは両親と妹のマリア、弟のミハイルらを食べさせられなかったので短編小説を書き続けた。
それが家族の生活費になっており、アントン・チェーホフは家長として、常に家族の心配しなくてはならなかった。


チェーホフ伝 (中公文庫)


田舎暮らし


「すぐり」発表の六年前、三二歳のとき、チェーホフは田舎暮らしを決意する。
田舎で暮らせば、家族全体の生活費が安上がりになる。
それから、持病の肺病から回復する。
そして都会の喧騒や取り巻き連中の訪問攻めから解放され、誰にも邪魔されずに長編が執筆できるだろう、と。


モスクワのアパートを出て、汽車で二時間半のメーリホヴォという村の屋敷に引っ越した。
森や庭園、果樹園などを持つ地主となり、ここで七年暮らした。
チェーホフはかねてからの夢を実現した。
農奴の孫が領主になったのだ。


一家総出で邸の改修作業をし、父は草取り、マリアは野菜畑、ミハイルは畑仕事の監督、チェーホフ自身は果樹園と庭園づくりに専念した。
年間で二千ルーブリの売り上げを目指して。
小間使いや小作人を雇い入れ、自然豊かな夢の田園生活を満喫した。