シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

チェーホフと田舎暮らし ②

johnfante2008-07-28

すぐり (チェーホフ・コレクション)

すぐり (チェーホフ・コレクション)


右写真はスグリの実。クロスグリはカシスの実のこと。

兄からの手紙


ある日、田舎暮らしを満喫していたチェーホフに、長兄のアレクサンドルから次のような手紙が来る。
「一切合切放り出せよ。おまえの夢の田園生活やら、メーリホヴォを愛する気持ちや、その土地におまえがつぎ込んだ感情や仕事のすべてを。そこは世界で唯一の土地ではない」。


チェーホフの「箱に入った男」「すぐり」「恋について」の三部作は、獣医のイワン・イワーヌイチと教師のブールキンが田舎に猟に出かけたときに語った話、という共通の設定を持っている。
チェーホフ自身もモスクワから客が来ると、森に狩に出て、山鴨などを撃っていた。
しかし、農奴の孫という来歴を持ったチェーホフには、この夢の田舎暮らしも手放しで幸福と呼べるものではなかったようだ。

絶望感


「すぐり」という作品では、それがスグリを「うまい」と言って食べる弟ニコライの場面にあらわれている。
そして、語り手は「長い間の夢を実現した幸福な人間を目にしながら、絶望に近い重苦しい感じ」を覚える。
それから、「幸福な人間が安穏に暮らせるのも、不幸な人間がかわりに重荷を担ってくれるから」だと続けて考えるのだ。


「すぐり」におけるチェーホフの口調は辛辣ですらある。
「テーブルを囲んで茶を飲んでいる幸福な家族ほど不愉快な見物はない」
「幸福な人びとの戸口に小槌を持った人を立たせ、こつこつと叩かせ、不幸な人びとがいることを病気、貧乏、災難が振りかかることを気づかせなくてはならない」
チェーホフがここまで言うのは、なぜなのか。


田舎暮らしの終わり


チェーホフは次のように書いている。
「町を避け、闘争を避け、浮世のさわがしさを避けて、田舎へ逃げ出し、荘園に見をかくすのでは、生活とはいえない。それはエゴイズムです。怠け者のすることです。苦行を抜きにした遁世です。人間に必要なのは地球全体、自然全体です。そのなかで自由な精神のあらゆるものを思うさま発揮できるのです」と。


一八九九年、チェーホフはもっと温暖な土地、クリミアのヤルタに別荘を買うことにする。
そして、メーリホヴォは売りに出した。
この土地で、後に「犬を連れた奥さん」など代表作が書かれることになる。


弟のミハイルによれば、「メーリホヴォに引っこんで暮らした七年間は、兄にとって無駄に過ぎたわけではなかった。
この時代の兄アントンの作品に特別のあとを残し、特別の色どりをそえているというのだ。
このメーリホヴォにおける田舎暮らし生活の影響は、チェーホフ自身が自分でも認めていた。
どうやら、田舎暮らしの魅力やそれを続けることの難しさは、今も昔も変わらないようだ。