シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

『岡山の娘』

johnfante2008-11-15

福間健二監督作品『岡山の娘』が、本日よりロードショー(全国順次公開)


ポレポレ東中野にて 
11月15日(土)より  レイトショー 21:00〜


ゲストトークなどの詳しい情報はこちらです。
http://d-mc.ne.jp/blog/musume/


予告編について



『岡山の娘』予告編



『岡山の娘』予告編(いまおかしんじバージョン)


『岡山の娘』予告編をいまおかしんじが編集していますが、2つのバージョンを見比べるとおもしろいです。
いまおかバージョンが物語の全部を説明しようと詰め込むのではなく、『岡山の娘』という映画の一つのイメージを伝えようとする予告になっているような気がします。


監督について


詩人・福間健二と映画の関係というと、まず頭に浮かぶのが映画評論家としての仕事です。
石井輝男映画魂』(1992年/ワイズ出版)、『大ヤクザ映画読本 大笑い三十年の馬鹿さわぎ』福間健二山崎幹夫編(1993年/洋泉社)、『ピンク・ヌーヴェルバーグ』(1996年/ワイズ出版)は、いずれも再評価の機運や日本映画の潮流をつくりました。


ピンク・ヌーヴェルヴァーグ―佐藤寿保、佐野和宏、サトウトシキ、瀬々敬久の挑戦


福間さんのライフワークである石井輝男研究が、B級映画批評に与えた影響は少なくないでしょう。
またピンク四天王ブームをささえ、ピンク映画の作り手が一般映画へむかうための流れをつくりました。


ストーリーについて


物語の枠組みはかっちりしています。
母親を亡くしたばかりのところに、初めて父親に会うことのなるという岡山に住む若い娘のみづきが、大学を退学してアルバイトしながら母親の借財を整理します。
そして、母親を理解するようになり、自分の人生について煩悶しつつ、徐々に父親を受け入れて行く、その一夏を描いた作品です。



あらすじはシンプルですが、どうも物語からはみ出る部分があふれていて、映画の基調をつくっているというか、意図的に物語を破綻に導いています。
たとえば、意想外なインターミッションであったり、「青空娘」のパロディであったり。


『岡山の娘』は新鮮な驚くような表現と、映画作家としての福間さんの野心が溶け合ったみずみずしい映画です。
何よりも今まで誰も行ったことがない場所へ、切り込んでいく、向かっていくんだという気持ちが伝わってきます。
『岡山の娘』のような映画が若い作り手のなかから、どんどん出てくるような映画情況にならなくては、と考えさせられます。


意識的な方法論


監督しての処女作『青春伝説序論』からそうですが、福間監督は文字や字幕の使い方が意識的です。
今回はサイレント映画的な字幕を使って、鈴木志朗康さんや北川透さんらの引用がバンバン入ります。
みづきや信三の独白、みづきと照子さんとの会話なども、字幕スーパーで入ってきます。


しかし、字幕は地の文のような役割もします。
これも最初はスペイン語で話す信三が語り手かと思うのですが、意図的に混乱させられていて、それぞれの意識のブラックボードのように好きな言葉が自在に書き込まれていきます。
さらに最後の方で智子が書いている小説が出てきて、メタ的にみづきたち家族の話をなぞったり。映画自体が啓介の書いた映画シナリオなのではないか、という見方もできるようになります。


ドゥルーズの『シネマ2 時間イメージ』という書物が印象的なのは、映画におけるカメラの位置というものを、ジェイムズ・ジョイス的な「自由間接話法」で説明しようとしているところです。
「自由間接話法」はまさに福間健二の映画を語るのに、むいている言葉だと思います。
福間映画の場合は、カメラと字幕をのせるクロミ、さらに映像から分離した音声トラックがこの役割を担っているようなのです。



※ 22日には過去作のオールナイト上映があります。


『岡山の娘』公開記念オールナイト


11月22日(土)23:30〜
福間健二の監督・脚本・出演した幻の作品群が一夜に集結!
オールナイト料金2,500円 前売2,200円