シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

パーフェクト ストーム ①

johnfante2009-04-03

パーフェクト ストーム 特別版 [DVD]

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今回は映画『パーフェクト ストーム』にまつわるエピソードです。
右写真は91年11月1日の実際の「パーフェクト・ストーム

パーフェクト・ストーム


1991年10月末。
100年に一度という猛烈な暴風が大西洋岸北部漁場として知られている広大な海域を襲い、悲惨な海難事故をもたらした。
アメリカのニューイングランド地方の東から、カナダのニューダンドランド島の南の沖合にまでいたる海域である。
北大西洋で「ハリケーン・グレイス」と名づけられたハリケーン熱帯低気圧のうち最大風速が毎時64ノット=秒速約32メートル以上のもの)が発生し、北米大陸に向かって北上した。
さらにその進路で「爆弾低気圧」(五大湖からメキシコ湾周辺に発生する北東の強風)と寒冷高気圧が待ち構えて、三者がぶつかった。


三者の間に気圧傾度の崖ができ、気圧の差が大きいほど風は強まるので、古今未曾有の大嵐「パーフェクト・ストーム」が発生したのである。
同海域にいたメアリーT号によれば、80ノット〜100ノット(秒速41メートルから51メートル)の北東の暴風が吹き、波高が15〜18メートルに達したと報告されている。
このパーフェクト・ストームに遭遇したメカジキ漁船アンドレア・ゲイル号の遭難事故は、ノンフィクション小説『パーフェクト・ストーム』に書かれ、同名で映画化もされている。
このときこの海域にいた遠洋マグロ漁船第78永伸丸をはじめ、貨物船、コンテナ船、帆船の数多くが遭難し、あるいは遭難しかかっていた。
そして、その裏には空軍州兵によるパラシュート・レスキュー隊の決死の救助活動があった。


サトリ号救助


10月30日、14時45分。サトリ号というヨットが沿岸から250マイルの地点で沈みかけていた。
沿岸警備隊のH-3ヘリコプターの航続距離を超えているので、空軍州兵のH-60ヘリコプターに出動要請があった。
H-60ヘリは空中給油機ができ、長距離飛行が可能である。
通報の数分後、マサチューセッツ州ケープコッド基地にいたパイロットのデイヴ・ルヴォラ(Dave Rubola)は、副操縦士グレアム・ブッショアー(Greum Buschor)と給油機の操縦士と地図を広げた。
彼らは行きと帰途に2回ずつ給油することに決めた。



映画『パーフェクト ストーム』の予告編


レスキュー隊員のジョン・スピレーン(John Spillane)とリック・スミス(Rick Smith)は救難室へ走った。
救命スーツ、ウェットスーツ、必要な装備品を備えた戦闘用ベスト(ラジオ、照明、ナイフなど)を雑嚢にしまい、給油を終えたH-60ヘリに航空機関士のジミ・ミオリ(Jim Mioli)らと共に5人で乗り込んだ。
ヘリは離陸して、数分で広々とした海に出た。海岸には激しく打ち寄せる波が見えた。


パラシュート・レスキュー隊


パラシュート・レスキュー隊は通常敵の背後に降下して、撃墜された飛行機のパイロットの救出にあたることが多い。
海上に墜落すればダイビング用具を装着して、氷河ならばアイゼンとピッケルを持ち、ジャングルならば樹木から降りるためのロープを持って降下する。
レスキュー隊が出動できない場所は、地球上どこにもない。
18ヶ月の訓練を受けて、10人に1人の割合で残った精鋭から構成されているのだ。


デイヴ・ルヴォラの操縦するH-60ヘリは、2回の空中給油を受けた後、サトリ号の救助にあたった。
最終的には近くにいたルーマニアの貨物船の力を借りて乗組員の救助に成功。給油機とH-60ヘリは基地へと引き返した。
帰途についた10分後にルヴォラは3度目の給油を行い、海岸まで飛ぶにはあと1回給油が必要な見込みだった。