シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

『どくろ杯』金子光晴

johnfante2009-12-16

発端


冒頭の「発端」の節で金子光晴が書くように「四十年もむかしのことで(…)おぼつかないことも多いが、それだけにまた、じぶんの人前に出せない所行を他人のことのように、照れかくしなくさらりと語れるという利得」があるのが、本作『どくろ杯』である。
三三歳の金子光晴が一九二八年に上海へ渡り、それからマレー半島を縦断、ピナン島、スマトラ島を経由して欧州へ渡った五年に亘る旅行を扱っている。
これは『ねむれ巴里』『西ひがし』と共に、晩年に書かれた自伝三部作となっている。


まず最初に強調しておきたいのが、実際の旅行から四十年後に書かれているということだ。
解説によれば、一九六九年に「マイウェイ」という小さな雑誌に「万国放浪記」という題で書きはじめた回想記であるらしい。
七十歳を過ぎてから三十代前半からの時期について書いているのだから、十二分に自己分析は済んでいる。
たとえば中公文庫版の七六ページで金子は講談社の受付に原稿を持ち込んだときのことに続けて、自分のことをこう書いている。

私を非実際的な人間に仕立てた当のあいてが、年来、それをこの上ないしごととおもってひっかかっていた文学、とりわけ詩であることに、ようやく気づきはじめていた。(…)排他的で、自惚がつよく、そのくせ弱気で、仲間どうしで甘やかしあっている詩人気質がじぶんの肌にも染みついていることにそろそろがまんならなくなっていた。

ボヘミアン


金子光晴ボヘミアン詩人と言われており、『どくろ杯』でも友人たちと銀座などの盛り場へふらふらと出かけていく記述が目立つが、酒は呑めない体質だったらしい。
金を作るために谷崎潤一郎に会いにいく件(一一四ページ)では、「谷崎は、じぶんが一口にのみ干しては、盃を私の前につき出し、酒を嗜まない私を困惑させた」とある。
その後、売り物にするために谷崎に書いてもらった短冊を手に、線路のなかほどで慣れない酒のせいで具合が悪くなって座りこみ、地を這って踏み切りを越えたとある。
このよくできた挿話には、経年の記憶によって醸造されたフィクションが入り込んでいるようにも思われる。


金子は自分の放浪性についても否定している。
一二二ページには、こうある。

理由もない長逗留は、私の性癖で、居付いた先々でうごくのが億劫になるのだが、それは、私の放浪性ではなくて、むしろその逆であった。(…)私はただ、うごくのが面倒だったのだ


貧窮きわまるときに限って、内に引きこもるのではなく、外へ、国内旅行や外国旅行へ出かけてしまうあたりが凄まじい。
それも自分から主体的に移動するのではなく、何となく周囲の人物や流れに身を任せて流浪している感じである。この辺りが金子光晴の本当のすごさかもしれない。


物語


女学生だった森三千代と交際をはじめ、彼女の妊娠によって大学を退学し、息子・乾を産み、極貧のなかで長崎の森の実家に子どもを預けて、二人でヨーロッパ目指して旅立つ。
この当時、進歩的な女性だった森三千代との関係が物語の軸になっており、二人の愛憎劇には情痴小説といってもいいほどの興趣を覚えさせられる。


その一方で、当時の社会風俗や文壇事情にも触れた的確な文章があり、回想録としても体をなしている。
たとえば、六四ページでは、岡本潤萩原恭次郎壺井繁治アナーキスト詩人たちについて書いている。
金子は彼らの会合でつるし上げにされそうになったこともあったという。
しかし『こがね蟲』の詩人はこう書く。
「困ったことは、時たま目にふれる彼らの作品が私じしんの作品よりも、じぶんに身ぢかいことであった」のだが「人間嫌いな私は、彼らの仲間になることなど、虫唾が走るほど我慢がならなかった」という。
このように、人前で語りにくい自分のことをさらりと語っているところに、驚かされるのである。


チベットの髑髏杯



[国家一級文物]カパーラ
チベット・19世紀・総高25.5cm・チベット博物館
カパーラは、高僧大徳の遺志にもとづきその頭蓋骨を加工して作られる法具で、無上瑜伽タントラで行う灌頂儀式に用いられる。頭蓋骨を加工した碗の外側には、日、月、ホラ貝とチベット文字による六字真言が浅く彫りこまれている。
碗の蓋は楕円形を呈しており、蓮弁、唐草文と八吉祥文が刻まれ、縁にはトルコ石と宝石が貼り付けられ、取手は金剛杵の形をしている。三角形の台上部には人頭つきの支えが立ち上がり、全面に透かし彫りの葉文が施されている。ともに金で作られ、類品中でも特に優れた作域を示す。大学僧の頭蓋骨で、東チベット・カムドにある僧院の僧侶からダライラマに捧げられたもの。(九州国立博物館HPより引用)




中国の西北辺境の少数民族の村で発見された人骨を使った髑髏杯といわれる物。真偽の程は不明。