シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

中国奥地のローマ人村 ①

johnfante2009-12-19



今回は中国の奥地にある、ローマ人の末裔が住むといわれる町についてです。


ヨーロッパ系の住民


中国の僻地にある村の住人たちは、DNA検査がもっともありえなさそうな1つの言い伝えを証明すると期待している。
その言い伝えとは、甘粛省驪靬(Liqian)県は、投降した古代ローマ兵を住まわせた土地であるというものだ。



研究者グループは、中国北西部・ゴビ砂漠の近隣の町、驪靬県に住む93人の住人から採血をした。
驪靬県は主要な中国の都市から300km以上も離れたところにある辺境の町である。
驪靬県の住民は、緑色の眼、高い鼻、ブロンドの髪というヨーロッパ系の特徴と中国人の顔の特徴を併せ持った人々である。
今回行われた採血は、地元の研究者チームと歴史学者が行うプロジェクトの一環として行われたものである。
このDNA検査の結果は、後に科学雑誌に掲載される予定であるという。


証言と歴史


「私は、本当に、我々がローマ人の子孫であると思います」と、Song Guorong(48才)は言う。
たしかに、彼の波打った髪、6フィートの身長、長い鉤状の鼻という特徴は、丸顔で背の低い仕事場の同僚のなかではよく目立つ。
「その身に何か特別なことが起こった住民がいるのです。そうして、それは古い歴史的記録のなかにも証明されているのです」
 驪靬がローマ人の祖先を持つと主張する調査は、この貧しい地域の人々を大いに昂奮させている。
そこに観光客が押し寄せること願って、村を見下ろせるポーチが作られた。
近くの省の庁舎所在地であるYongchang市の入口には、孔子イスラム女性と古代ローマ軍団兵が立っており、人種的な調和の象徴となっている。
 


驪靬とローマとのつながりは、50年代にオックスフォードの中国史の教授によって指摘された。
ホーマー・H・ダブズ教授(Homer Dubs)は、公認されている歴史の話を組み合わせてみせた。
驪靬が、紀元前36年に起きた中国人(漢民族)とフン族匈奴)の戦争で捕えられた兵士によって発見されたことと、ローマの将軍マーカス・クラッススの部隊が行方不明になった伝説によって、2つは結ばれたのである。
歴史上では、紀元前53年、クラッススは戦争で手ひどく打ち破られて、パルティア人によって打ち首にされた。
そのパルティア人の部族が、現在のイランである場所を占めることになった。
それがローマ帝国の東への拡大に終止符を打つことになった。