シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

エウリの眼球

johnfante2010-01-01



明けましておめでとう御座います。
今年もよろしくお願い致します。


後に長篇『ぬばたまの宇宙の闇に』に纏めることになった短編映画に関して、人類学者の今福龍太氏が新聞で紹介して下さった文章です。
年末の大掃除からの贈り物として採録しておきます。

文化最前線「エウリの眼球」


映像作家、金子遊の新作「エウリの眼球、差しのべる手」(2004年)は、8ミリフィルムによる画像をディジタル編集した凝集力に満ちた傑作である。
昨年、沖永良部島で開かれた第二回奄美自由大学に参加した金子が、島の神秘的な場所を巡礼しながら上演された有志による即興劇「南海のオルフェウス」(オルフェウス:中村達哉、エウリディケ:福島朋子)に付き従いながら自由に撮影した映像素材が加工され、その上に字幕による作者の自省的なつぶやきが重ねられて編集された八分の息もつかせぬ作品である。


古代ギリシャに遡るオルフェウスとエウリディケの悲恋の物語はさまざまな神話的想像力の源泉となってきたが、そこにはいまだに、人間が男女の「愛」のありようをめぐって考えうるすべての要素が隠されている。
愛の肉体的喪失、音楽の呪力による冥界への下降、愛の奪還の企て、禁忌、禁忌の侵犯、完全なる喪失、精神的合一、四肢分断……。
こうしたモティーフが、地下に空洞を無数に孕む南海の隆起珊瑚礁の島を舞台に劇として展開され、金子のキャメラは、土地やモノや演者の肉体の細部に微視的な視線で迫りながら、愛をめぐる秘儀を映像みずからに演じさせようとしている。
愛への普遍的な思考は、最後に、金子自身の映像作家としての「夢の作品」への憧憬として回帰してゆく。
この自伝的枠組みによって統べられた鮮烈なかたちと色彩の静かな(動かない)叫びが、近年のゴダールにみられる、極北の映画スタイルを想起させる。(今福龍太)



初出:「公明新聞」2004年9月28日日刊5面