シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

『生の泉』 中村剛彦

johnfante2010-02-23

詩集 生の泉

詩集 生の泉


『壜の中の炎』(03年)の詩人・中村剛彦の第二詩集『生の泉』が刊行された。
中村はフランス文学者・詩人の井上輝夫を師と仰ぐ詩人だが、第一詩集に比べて、ますますフランス象徴詩の影響というか、それの翻訳調に近い語感を強めている。
日本語の現代詩においてはアナクロニズムといえる、その戦略が成功しているか否か価値判断が難しいところだが、そのスタイルが異彩を放っていることは確かである。


『生の泉』は、中村剛彦が詩作の同伴者としてきた詩人・映画作家の金杉剛に全面的に捧げられている。
金杉剛は『NO RESPECT 半端街』(2000年/8ミリ)、『ロックンロール障害者』(03年/DV)などの自主制作映画でピンク映画界などに影響を与えた映画作家だが、06年に31歳にして夭逝した。
本書の「あとがき」によれば、中村と金杉は10代後半から互いに刺激を与え合う、詩作の同伴者であったという。
金杉剛の私家版詩集『がらん』に収録された詩篇「無名俗」には、次のようにある。


郷を失った者たちは
炎症の上に爪を立て
夭折願望者達は
又幾度 寒空に親しい鳥たちの
声をわがものとして聞いたろう
(…)
群衆の中で声はあまりにも
孤独な音となってしまって
だが自分の名が聞こえてくるのを
死ぬ程待ちこがれている


数回直接会ったことのある金杉剛は、中原中也の好きな、哀しそうな笑顔を浮かべる青年だった。
彼もまた「夭折願望者」のひとりであり、群衆のなかを孤独に歩きながら「だが自分の名が聞こえてくるのを/死ぬ程待ちこがれている」人間だったのかもしれない。
人が作品を通して誰かを追悼するとき、そこには甘い感傷のベールがかかっていることが多い。


君がいなくなった部屋には
何が残されていたのか
君が愛した品々は確かに残っていた
しかし君が執念を燃やして戦った相手は
どこかへ消えてしまった
僕は一人君の机に座る
(「月光」『生の泉』中村剛彦)


ところが読み進めるうちに、中村剛彦がこの追悼詩集を出すことでしか、自分の詩作を続けることが出来なかったということが伝わってきた。
死者が生者をいかしているという、その一点だけでも、この詩集を支持しようという心持を私に持たせるのには十分であった。
中村がミッドナイト・プレスのWEBで連載している「甦る詩人たち」のエッセイシリーズの方に、彼の書き手としての可能性をより多く感じる。
だがしかし、これから数冊の詩集を出していき、彼がどのように詩の言葉を練磨していくか、私は暫く読み続けたい欲望に駆られている。




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