シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

「ハリウッドランド」の真相 ③

johnfante2007-05-28

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右写真はジョージ・リーブスの婚約者だったレオノア・レモン

スターの座を射止めて


ジョージ・リーブスは大スターとなった。チャリティ・イベントで全米をまわれば、子供たちが感激のあまり悲鳴を上げた。ハリウッドの社交界でも、持ち前の甘いマスクで女性たちを酔わせた。
しかし、大きな悩みが2つあった。
1つはあまりにスーパーマンとして有名になりすぎたために、イメージが強すぎて他の役がつかなくなってしまったのだ。リーブスが映画チンピラの役を真面目に演じても、アロハシャツを着たスーパーマンに観客からは失笑が漏れる。


同じ現象は「スーパーマンの呪い」として、40年代に低予算シリーズでスーパーマン役を演じたカーク・エイリンにも起き、それ以降役が付かず、最終的にエイリンはアリゾナ州で引退した。70年代に始まった『スーパーマン』シリーズのクリストファー・リーヴも同じ悩みを抱えた。
(下はジョージ・リーブスの死の謎に迫るテレビ・ドキュメント。字幕なし)



もう1つの悩みは、トニ・マニックスであった。彼女はビバリーヒルズに家をプレゼントするなどリーブスに尽くしたが、一方でとても嫉妬深かった。
彼女は8歳年上で、50代にさしかかり、自分の容姿の衰えを感じていた。トニは夫のエディが死んで、合法的にリーブスと結婚できる日が来るのを待ちわびていた。


そんな折、ニューヨークのレストランで、リーブスは女優志望の若い女性レオノア・レモンに出会った。彼女の方から話しかけ、その晩のうちに関係を結んだ。
レオノアはカリフォルニアのリーブスの家へ移った。彼女はリーブスとトニとの関係を嫌がり、リーブスは関係を解消せざるを得なくなった。45歳のリーブスは53歳のトニと別れた。トニのショックは大きかった。
そして、1959年の6月19日(死の3日後)にリーブスとレオノアの2人は、メキシコで挙式をしてから、ヨーロッパにハネムーンへ行く予定になっていた。


自殺はありえない


私立探偵のミロ・スペルグリオは意外に優秀だった。彼は検視や現場検証、証拠品の再調査、聞き込みなどで、母親のヘレンのために様々な反証を見つけ出した。


○銃にリーブスの指紋がない。
○リーブスの頭の傷口に、閃光熱傷(火薬による火傷)が見られない。頭蓋から数インチの場所で撃たれた場合、これがつくはずで自殺では普通あるもの。自殺者は通常、頭に直接銃先をつけるものだから。
○リーブスの手も閃光熱傷があったかどうか、テストされていない。
○使用後の薬莢がリーブスの死体の下で見つかった。死体がどうやって起きたのか?
○いくつかのアザがリーブスの遺体についていた。


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○銃が足の間で見つかった。銃によるほとんどの自殺では、それが落ちるところは首尾一貫している。犠牲者が座っているか、立っているならばそれは足に落ちる。彼が横になっているならば、頭の横に落ちる。
○死後30分間から45分間、レオノアたちは警察へ電話をかけていない。
○リーブスの自殺の原因は、スーパーマン・ショーのキャンセルが相次いだせいで、うつ状態にあったとされていた。しかし、これを彼は喜んでいいはずではなかったか。パラマウント・ピクチャーズと5本の映画出演契約を結んでいたからだ。
○リーブスは3日後の結婚式と、翌年のテレビ「スーパーマン」の新シリーズの再開を楽しみにしていた。経済的にも成功していた。
○翌日の6月17日には、ボクシングのライトヘビー級チャンピオン、アーチームーアの試合を観るために、席を予約していた。


探偵の推理


レオノアはその晩、寝室でリーブスと口論しているところを目撃されている。
喧嘩をしていて弾みで撃ったのであれば、天井に残された弾痕、床にあった2つの弾痕の説明がつく。おまけに彼女はリーブスの死の翌日にはカリフォルニアをあとに、二度と戻ってこなかった。銃声の30分〜45分後に警察を呼んだことの説明もなされていない。
その場にいた他の客たちも、一度も公の場で証言したことがないのだ。


リーブスの死の翌日の新聞で、L.A.P.Dの刑事V・A・ピーターソン(V.A. Peterson)が、レオノア・レモンの声明を読み上げたものがあった。
「『彼は自分のことを撃つんじゃないかしら』と私は口走りました。2階でがたがた音が聞こえました。『きっと銃を取り出すために、引き出しを開けているんだわ』。そして銃声が聞こえました。『ああ、やっぱり私の言った通りになったわ』」
レオノアは90年のある日、ニューヨークで亡くなった。


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一方で、トニ・マニックスへの疑いも拭いきれない。
彼女がリーブスの殺害を誰かに依頼したことはありうる。しかし、心から愛した男を振られたからといって、数ヶ月後に殺害することができるだろうか。
可能性があるとしたら、夫のエディ・マニックスの方だ。リーブスの裏切りにあい、塞ぎこむ妻のトニを見て、エディが裏社会へリーブス殺害を依頼したのかもしれない。


探偵は何度もトニ・マニックス接触しようとしたが、逆にエディの雇い人たちに痛い目にあわせることの方が多かった。そのうちにリーブスの母へレンが、誰かにリーブスの銅像の建立と引き換えに、捜査から手を引くように言われて、ミロに捜査の中止を求めた。
母親は息子が死してもなお、銅像にされるだけの人生を歩んだと考えたがった。母親はカリフォルニアを引き上げ、探偵の捜査は打ち切られた。


真実の行方


63年にエディ・マニックスが亡くなった後も、トニ・マニックスは再婚しなかった。その後、70代になり、長い間アルツハイマー病に苦しみ、83年に死んだ。
99年になってCBSの「Unsolved Mysteries」というテレビ番組が、トニがカソリックの神父にジョージ・リーブス殺しを告白していた、と主張する内容のものを放映した。
トニと長年親しくしていたエドワード・ロッヂ(Edward Lozzi)というロスの出版社の男が証言だった。
ロッヂはCourtTVの「Extra!」という番組に出演した。2006年にこの事件を映画化した「ハリウッドランド」が製作されたときも、ロッヂは「The Globe」のようなタブロイド紙から「LA Times」紙などで、同じ主張を繰り返した。


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ロッヂによれば、79年から82年の間、年老いたトニ・マニックスと彼は暮らしていた。その後も、しばしば訪問する仲だった。
その間に、少なくとも12回ほどトニは自分の死を怖れて神父を呼んだ。彼女は自分の罪を懺悔したがった。トニはアルツハイマー老人性痴呆症で苦しんだ。しかし、その告白は彼女が正気であるときになされた、とロッヂはいう。


ロッヂの話によれば、告白はトニが病院へ移される前に、彼女の自宅で行われた。その後、死ぬまでの時期を病院で過ごした。
子供がなかったので夫のエディから残された莫大な財産のほとんどを、丁寧な介護や看護と引き換えに病院に寄付した。トニは彼女の家の敷地に、ジョージ・リーブスのための祭壇をもうけた。ロッヂは火曜日の夜の祈りのセッションについてこう語る。
「お祈りのとき、彼女は大声でリーブスと神のために、祈りの言葉を言いながら、許しを願ったんですよ」


関係者がすべて亡くなってしまった今となっては、映画や本で示された「真相」が真実のように思われるばかりである。