シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

レイナルド・アレナス

johnfante2007-11-05


レイナルド・アレナス


『クアトロ・ディアス』でもっとも美しい映像は、青年たちがリオデジャネイロ南部の浜辺で射撃訓練をしている光景にちがいない。
大西洋の荒々しい潮流とカリブ海の透明な水域が互いに混じり合う海を背に、ガベイラたちは若きテロリストとしての一歩を踏みだす。彼らが銃口を向ける方位は「北」へ、カリブ海北部の孤島キューバを指している。
青年テロリストたちはカルロス・マリゲラの落とし子なのだ。
マリゲラは1967年、カストロ政権下のハバナにラテン・アメリカの新左翼勢力が結集した会議を開いたとき、平和革命路線の批判を繰り広げ、それ以降ブラジル国内の都市ゲリラを組織した人物である。
武力解放時代の憂愁をたたえた海が、午後の陽に照らされて、ガベイラの背後で波の影を幾重にも織りなしている。


反対に、さらに「北」へ海を渡り、革命キューバから遁走した男がいる。
1969年、キューバ国家公安局に目をつけられていたレイナルド・アレナスは、小説『ふたたび、海』の原稿をセメント袋に突っ込み、それを預かってくれそうな友人を探してハバナ市域を流れ歩いていた。原稿が公安側の手に渡れば、刑務所行きの果てにサトウキビ畑の強制労働が待っているからであった。
ラテン・アメリカの共産系ゲリラはハバナを聖地のように思いこんでいたが、当の国民にとってみればカストロ独裁政権下のキューバは、どんなことをしてでも逃げ出したい恐怖の島でしかなかった。



映画『夜になるまえに』


夜になるまえに


アレナスはゴムタイヤひとつで145キロもあるフロリダ海峡を渡ろうとしたり、米海軍基地を目指して海を泳ごうとしたりと様々な逃亡の企てが、いずれも失敗に終った。ハバナの海はアレナスにとって、彼方に自由の蜃気楼を浮かべた希望の象徴であり、同時に渡ることができない宿命を知らされる絶望の海でもあった。
興味深いのは、国境として厳然と横たわる海が、同性愛者アレナスの性的興奮の対象でもあったということだ。浜辺をアレナスが男漁りをする格好の場としていたということもあるが、もっと根源的意味で「海はエロティックな響きをあげてくれ」る生の祝祭空間であった。
「どんな独裁も性的に純潔を守り、生の躍動を許さないものである。生のどんな表現もそれ自体、あらゆる教条主義的な体制の敵である」のだ。いわば、アレナスはエロティックな生の躍動によって恐怖政治に反逆する、性への殉教を内に秘めた精神のテロリストであったと云える。



夜になるまえに

夜になるまえに



アレナスの反逆がもっとも緊張感を増すのは、亡命直前の出国時のことである。
アレナスが出国許可を得る経緯は、その自伝小説『夜になるまえに』(安藤哲行訳)に詳しい。それによれば、1980年にフィデル・カストロが、キューバ革命政府にとって望ましくない者は全員出国させよ、との命令を出した。その望ましくない範疇に、まず同性愛者が挙げられた。
アレナスが「警察に行くと、ホモか、と聞かれ、そうです、と答えた。すると、やるほうかやられるほうか訊いた。やるほうですと答えた友人は出国が認められなかった」。革命政府は男役の同性愛者をホモとしては認知していなかった。反対に、女役のホモという異形は何よりも「反革命的」であるのだ。
誰がテロライザーとしてもっとも権力の脅威となるのかは、想像以上に広いふり幅で考えられなくてはならない。なぜなら、重力に抗い続ける生の振り子は、時計の振り子とは違って、栄光と悲惨の振り幅のなかで、絶えず新たな軌跡を描こうとしているのだから。



初出:「発言者」