ガルシア・マルケスと独裁者 ①
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アレナス対カストロ
ハバナに春は来ない。
メキシコ湾流から吹きよどんでくる暑気が、街中にまでおよび、しめやかに停滞する。容赦ない陽光が照りつけ、熱帯の春は饐えたような微臭と共に発酵しはじめる。
一九八○年の四月、共産圏のなかでもっとも太陽に近い島キューバには不穏な空気が漂っていた。
二○年以上におよぶカストロの恐怖政治(テロリズム)のもとで、小説家レイナルド・アレナスは自由の国への脱出を半ばあきらめかけていた。
だから、政治亡命を求める一千八百もの人々がペルー大使館に逃げ込んだときもジッとしていた。案の定、フィデル・カストロがペルー大使館の前に駆けつけたところ、それまで抑圧されていた国民たちが悪罵でもって独裁者を迎えたので、軍隊は機銃掃射でそれに応じた。
心から手に入れたいものが眼の前に吊されたとき、人はアレナスのように少し臆病なくらいが丁度いいのかもしれない。
ガルシア=マルケスのインタビュー映像
マルケス対カストロ
アレナスによれば、カストロは当時の演説において、亡命者たちを性的頽廃者のレッテルの下に非難した。
その演説に偽善的な拍手をしていた著名人のなかに、コロンビアの小説家ガブリエル・ガルシア=マルケスの姿もあった。
アレナスはガルシア=マルケスを「フィデル・カストロが抱える最も重要な操り人形の一つ」と自伝的著書のなかで罵倒してさえいる。だが、その男は本当に罵倒されるべき人物であったのだろうか。
ガルシア=マルケスがカストロに好意を寄せたのは、ジャーナリストとしてであった。
二年半のヨーロッパ放浪から戻った二八歳の青年は、ベネズエラの首都カラカスに拠点を移し雑誌記者として文筆生活をはじめる。
五八年には、ゲリラ期のカストロの半生を追ったルポルタージュ「わが兄フィデル・カストロ」を発表している。実妹エンマ・カストロの「兄は料理がとてもうまいんです。特にスパゲッティが」という言葉ではじまる短文は、文学と雑誌記事が奇妙に同居している習作として読まれている。
だがそれ以上に「わが兄フィデル・カストロ」は、反政府の首謀者カストロの内面にまで届いた美しい文章である。以前から社会主義に魅かれていたガルシア=マルケスの心情は、急速に軍事政権の数を増やしつつ混乱してゆく南米の世相において、その打倒を願望するという文脈で政治的に顕在化することになった。
- 作者: ガブリエル・ガルシア・マルケス,鼓直,柳沼孝一郎
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