シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

ある遭難者の物語 ③

johnfante2008-08-15

ある遭難者の物語

ある遭難者の物語


8日目


8日目の夜、年老いた鴎が近づいてきてルイスの頭を突っついた。
捕まえたが、殺す気はなかった。太陽は朝7時から熱しはじめた。捕虜を解放してやった。
9日目がはじまった。もう苦痛も感じなかった。感覚は消え去り、幻覚を見、死にかけていた。


夕暮れ時に正気になって、筏のなかで飛び起きた。
筏からおよそ5メートルのところに、斑点のある顔の大きな目をした黄色い海亀が見えた。
体長4メートルはあるその怪獣は、ルイスを見ると泡を立てて潜っていった。
その光景はルイスに恐怖心を蘇らせた。恐怖はルイスを元気づけた。


陸地


その夜、筏の真ん中に網の綱にからまり、約30センチの赤い木の根があった。
9日間の漂流の間、木の葉一枚海上では見かけなかった。陸地の存在をはっきり告げていた。
ルイスはそれに齧りついた。甘い油が出てきて喉が爽快になった。かけら一つ残さずに食べた。
聖書の話を思い出した。ノアが鳩を解き放つと、その鳥はオリーブの枝をくわえて方舟に戻ってきた。
洪水が大地から引いたことを意味していた。

 
10日目の午前4時。水平線と澄み渡った空のなかに、長い濃い影が見えた。椰子の木の輪郭が際立って見えた。
ルイスはひどく腹を立てた。幻覚に対し用心深くなっていた。
5時に陽が出て、陸地は現実のものであることに疑いはなかった。筏から岸までは2キロはあると思った。
櫂を漕ぐと背中が痛んだ。海岸と平行して流れている海流が、筏を断崖にむけて推し進めていた。
最後のチャンスだった。ルイスは目を閉じ、水中に飛びこんだ。冷たい水に触れると元気が出てきた。


暴風雨はなかった


ルイスはボゴダに戻ったとき、ほぼ完全に回復していた。空港で盛大な歓迎を受け、コロンビア共和国の大統領から勲章をもらった。
海軍に見習い士官の階級で復帰した。広告代理店が申し出をしてきた。
漂流中に正確に時を刻んだ時計の会社、靴の会社などのためにコマーシャルに出て大金を手にした。
テレビやラジオ番組のなかで、何度も自分の話を物語った。


しかし、気象台は、あの日がカリブ海の2月に特有の、穏やかで晴れ渡った天気の日であったことをはっきりと確認していた。
公表されなかった真実とは、船が荒海で風を受け、横に傾き、乱雑に積みこまれた甲板上の積荷の綱がほどけ、8名の水兵が海中に投げ出されたということだ。
これは海軍の重大な違反行為を意味していた。
駆逐艦では荷物の輸送が禁じられ、軍艦に遭難者たちの救助活動ができなかったのは積みすぎに原因があり、さらにその積荷は冷蔵庫、テレビ、洗濯機などの輸入禁制品であったのだ。


真の英雄行為


コロンビア政府自体、最初は英雄のことを祝福した。
ところが、真実が公にされて、政府は言葉巧みに真実を隠蔽しようとした。
ルイスは種々の圧力に屈しず、自分の話を取り消さなかったので、海軍を離れなくてはならなくなった。


それから2年のうちにロハス・ピニーリャ将軍による独裁政権は倒れた。
十数年後、バス会社で机を前にし、座っているルイスの姿が新聞記者によって目撃された。
月日が経過したことが察せられたが、自ら勇気を奮いおこし、自分の銅像を爆破した英雄の穏やかな様子は残っていた。



※ 1982年10月24日付の新聞「エル・エスペクタドール」の特集記事で、ギリェルモ・カーノの「覚え書帳」は、これが現実に起きた出来事であるとはっきり証明している。
そこには、1955年4月25日、同紙がコロンビア共和国海軍当局から受け取った記事の連載に関する抗議文、それに対する同紙の社説での反論、さらには4月26日付の著者自身の反論が転載されている。