シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

ある遭難者の物語 ①

johnfante2008-08-02

ある遭難者の物語 (叢書 アンデスの風)

ある遭難者の物語 (叢書 アンデスの風)


10日間の漂流の末に生還


1955年2月28日、コロンビア海軍の駆逐艦カルダス号の乗組員のうち8名が、カリブ海において暴風雨のために海に落ち、行方不明になったというニュースが伝わった。
カルダス号(Caldas)は修復のために寄港していたアメリカのアラバマ州モービルの港から、コロンビアのカタルヘーナ港に向けて航行中であり、目的地には悲劇の2時間後、定刻通りに到着した。
遭難者たちの捜索は、カリブ海南域で巡視および救援活動に従事する、パナマ運河駐留の米軍の協力を得てただちに開始された。
4日後に捜索は打ち切られ、行方不明の水兵たちは死亡したものと公式に発表された。


しかし、それから1週間後、遭難者のひとりが飲まず食わずのまま10日間筏で漂流したのち、コロンビア北部の無人の浜に息も絶え絶えの状態でたどり着いた。
この人物は、ルイス・アレハンドロ・ベラスコ(Luis Alejandro Velasco)。
この物語は、彼が話したことが新聞の記事として再構成されたものであり、惨事の1ヶ月後、ボゴダの新聞「エル・エスペクタドール」(El Espectador)に発表されたものである。

船の揺れ


2月27日の夜10時ごろ、軍艦カルダス号は激しく揺れはじめた。
20歳の水兵ルイス・ベラスコは、寝台の下の相棒であるレンヒーフォに聞いた。
「まだ船酔いにかかってないか?」
「俺が船に酔う日にゃ、海だって酔っ払ちまうようよ」彼は答えた。
 真夜中に拡声器を通して「全員左舷の側にまわれ」と総指令が下りた。
船が危険なまでに右舷に傾いたために、自分たちの体重で均衡をとるというのであった。
ルイスは二年の航海生活を通じ、初めて本当の恐怖を覚えた。


2月28日の早朝4時に、一睡もできないまま当直勤務可能な6名が船尾に集合した。
ルイスは8時に当直勤務をつつがなく終了した。
風は吹き荒れ、波はますます高くなり、ブリッジに当たって砕け、甲板を洗っていた。
船尾にはラモンとレンフィーフォがいた。
中甲板ではオルテガ兵長が船酔いに苦しんでいた。
ラモンは段ボールを拾い集め、それをかぶって眠ろうとした。
揺れのために寝室では休息がとれなかった。
船尾にしっかりと固定してある積荷の冷蔵庫と洗濯機の間に、ラモンとルイスは波にさらわれないようにしっかりとつなぎ止めてから横になった。


惨事は起こった


午前11時半。船がバランスを失うほど右舷に傾いた。
ルイスとレンフィーフォは積荷の綱を切れという命令が出るだろうと話した。
11時50分。
ルイスは船が宙に浮いていると思った。
レンフィーフォが恐怖に目を見開いた。ルイスは海水に飲み込まれた。
浮かび上がろうとして、上に向かって泳いだ。約100メートル先の波間から、駆逐艦が現われ出た。
そのとき、自分が海に落ちたことを知った。カルタヘーナから約200海里のところであった。(1海里=1852m)


波に打たれ乱雑に箱が飛び散っていた。
仲間たちが大声で叫ぶのが聞こえた。
ルイスは3分くらい泳ぎ、筏のなかに飛び込んだ。見まわすと、フリオの首につかまったエドワルドが10メートル先にいた。
反対側に救命胴衣をなくしてしまっていたレンヒーフォが泳いでいた。
ルイスは櫂をつかみ、近づこうとした。遠くにラモンの姿も見えた。
箱にしがみついたまま、手でルイスに合図した。一番遠いラモンに向かって漕ぎ出した。


しかし、彼の姿は消えていた。巨大な波がフリオとエドワルドを飲み込んだ。
レンヒーフォは2メートル先のところで泳いでいた。
「太っちょ、こっちに漕いできてくれ」とレンヒーフォは叫んだ。
一瞬、彼の姿が見えなくなったが、反対側から現われた。
櫂からわずか2メートル足らずのところで彼は沈み、二度と姿を現さなかった。