シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

アメリカ超能力部隊 ②

johnfante2008-10-14

The Men Who Stare at Goats

The Men Who Stare at Goats


右写真は、ジム・チャノン考案がしたニューエイジを体現する兵士「ウォーリアー・モンク」(僧戦士)
「あらゆる人間を愛し、植物のオーラを感じ、子供と苗を育てるようになる。壁のような物体を通り抜けたり、思っただけで金属を曲げたり、火の上を歩いたり、大腸をマッサージしてきれいにできたりする」新しいタイプの陸軍兵士だ。


実験室


グレンの話によれば、「山羊実験室」はフォート・ブラッグ基地に現存する。
未舗装道路の先にある二次大戦当時の羽目板張りの病院がそれであり、大半の兵士はそれが廃墟だと思っている。実験室は元々、特殊部隊の隊員たちに野戦外科手術の訓練を施すために創設されたのだ。
山羊たちは1匹ずつボトル・ガンで脚を撃たれる。それから訓練生たちが山羊を手術室に運び込み、麻酔をかけて傷の手当てをし、健康になるまで看病する。


その場所は、元は「犬実験室」だったが、人道的理由から山羊に変更された。グレンはある1人の人物の名前を口にする。
その人物こそが、スタップルバイン将軍に超能力部隊のアイデアを与えて、山羊をにらみ殺す術や、他の事柄が生み出るきっかけを作った男だった。名をジム・チャノン中佐といった。


ジム・チャノンと第一地球大隊


冬の土曜の朝、ジョン・ロンスンはハワイに住むジム・チャノン退役中佐に会いに出かけた。丘の頂上を占めるエコ農場に住む長い銀髪の男である。
ジムは30日間、小隊長としてベトナムで戦闘に従事した。ある戦闘で、隊はヘリコプターから飛び降りた。部下たちに命じてベトコンの狙撃兵を撃つと、それは民間人の女だった。
代わりに、ジムの部下のジョー上等兵が狙撃手に撃たれて死んだ。


アメリカに帰国すると、ジムは田舎に車を飛ばして死んだ部下の親たちと会い、感謝状と身のまわりの品を手渡すのが仕事になった。
長い車の旅の間、ジムはジョー上等兵の死に至るまでの瞬間を何度も思い浮かべた。部下の兵士たちに狙撃手を倒せと叫んだが、部下たちは全員ことごとく狙いが高かった。
「これは新米兵士が人を撃つときに共通する反応であることが分かってきた」



ニューエイジ思想と米軍の秘密実験の橋渡しとなったジム・チャノン。Tシャツのロゴは「第一地球大隊」のもの。


戦史家のL・A・マーシャル将軍によれば、数千人の米軍歩兵の話を集めたところ、実際に殺すつもりで銃を撃った人間は、15〜20%に過ぎなかったと結論づけた。
70年代後半、当時の陸軍参謀総長エドワード・マイヤーはアメリカ陸軍を「空っぽの軍隊」と呼んだ。ベトナム帰還兵は戦闘後の鬱状態とPTSDに悩まされていた。
敗戦で予算は削減され、徴兵制は廃止され、事態はかなり深刻になっていた。ジム・チャノンは陸軍と彼が心から愛する祖国のために何かをしたいと考えていた。


ジム自身もまた鬱病を患った。身体的な苦痛を思い起こさせるものは、一切直視ができないようになった。そこで、77年にジムは、国防総省の給与と経費を受けて、2年間の調査旅行へ出かけた。
彼が旅で訪ねた人物は、ほとんどがニューエイジ文化の先端を行くカリフォルニア人だった。スティーヴン・ヘルパーンという音楽家には、サブリミナル音の力について聞いた。
ジムは全部で150のニューエイジ団体に立ち寄り、ヒーリング装置、人間潜在能力研究、原初療法、集団感受性訓練のグループなどを見てまわった。
こうして作られたのが、ジム・チャノンの125頁に亘る『第一地球大隊作戦マニュアル』だ。


僧戦士と新兵器


第一地球大隊では、新しい戦闘服に薬用人参の供給器や夜目がきくようになる食べ物、現地の音楽と平和の言葉を自動的に流す拡声器がついている。
兵士は小羊のような「象徴的な動物」を敵国に手に抱えていき、「きらきらと光る瞳」で人々に挨拶する。こうした手段で敵をなだめられない場合は、戦闘服や軍用者についた拡声器のスイッチを入れて、不協和音であるアシッド・ロックをかけて敵を混乱させる。
(これはイラク戦争で応用されて、戦車につけたスピーカーからヘヴィメタルを流して、戦士の士気を高揚させる役割を担った)。


こうして彼の僧戦士(ウォーリアー・モンク)が完成する。地球大隊の訓練生は一週間ジュースだけを飲んで断食し、その後、豆類と穀類だけを食べる訓練をする。
「あらゆる人間を愛し、植物のオーラを感じ、子供と苗を育てるようになる。壁のような物体を通り抜けたり、思っただけで金属を曲げたり、火の上を歩いたり、大腸をマッサージしてきれいにできたりする」新しいタイプの陸軍兵士の創出である。



第一地球大隊について、真実を語るジム・チャノン


1979年、ジム・チャノンは『第一地球大隊作戦マニュアル』を引っさげて、フォート・ノックス基地にいた陸軍の指揮官たちの前で演説した。
彼らはジムの演説に魅了されて、本物の地球大隊の指揮をとる機会を彼に与えようとした。しかし、ジムはそれを断った。地球大隊は理念としては良いが、現実化できものではないという分別があったからだ。


ところで、軍関係者と科学者は、想像力を奇抜なところまで使って新種の兵器、つまり巧妙かつ心優しく、殺傷力を持たない武器を追い求めるべきだという考えに賛同した。
ジムの地球大隊の武器である、敵を傷つけない非殺傷型の兵器「ねばねばの泡」のアイデアは後年、現実化された。95年にはソマリアで食料配布時に暴徒化した群衆を相手に、アメリ海兵隊が「ねばねばの泡」を使用した。
また、03年には壜に詰められた泡が何本もイラクに運ばれて、大量破壊兵器を発見した際に、その上に噴射しようと準備されたが、実際には使用されなかった。