シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

アメリカ超能力部隊 ①

johnfante2008-10-11

実録・アメリカ超能力部隊 (文春文庫)

実録・アメリカ超能力部隊 (文春文庫)


ジョージ・クルーニーが主演の新作映画『The Men Who Stare at Goats』は、ユアン・マクレガーケヴィン・スペイシージェフ・ブリッジスらとも出演交渉中とのこと。
これはジョン・ロンスンのノンフィクション小説「実録・アメリカ超能力部隊」を映画化するもの。
スプーン曲げで有名になったユリ・ゲラーをはじめとする超能力者たちを集めて、彼らの能力を軍事的に利用しようとするアメリカ軍の姿を描いたものだ。(参照記事 http://cinematoday.jp/page/N0015259


将軍と100匹の山羊


1983年の夏。
アルバート・スタップルバイン将軍は1万6千名の部下を持つ、アメリカ陸軍情報保全コマンドの司令官だった。
秘密軍事スパイや戦時捕虜の尋問も管轄していた。ヴァージニア州の執務室で、将軍の頭に或るアイデアが閃いた。
「特殊部隊を作ろう」


同年の晩夏、スタップルバイン将軍はノースカロライナ州にある広大なフォート・ブラック基地へ飛んだ。そこでは4万5千名の兵士と、その家族のための住居や施設が揃っていた。
特殊部隊コマンド・センターについた将軍は、指揮官たちを前に超能力で「動物の心臓を止めるアイデア」について話したが、実験用の動物は手に入らないと断わられた。



フォート・ブラッグ基地での訓練風景


翌84年、スタップルバイン将軍は早期退役した。公式の部隊史では、81年から84年のスタップルバイン司令官時代を、基本的になかったことのように扱っている。
しかし、将軍は様々な事実を知らされていなかった。実際には、特殊部隊の指揮官たちは将軍のアイデアを良いものだと考えた。
そして道路の数ヤード先の小屋には100匹の山羊がいたのだ。この100匹の山羊の存在は、少数の特殊部隊関係者しか知らなかった。山羊たちは鳴き声を奪われて、多くは脚を石膏のギプスで包まれていた。


山羊実験室


2001年10月。
イギリス人の調査ジャーナリスト、ジョン・ロンスン(「ガーディアン」誌に寄稿するジャーナリスト、チャンネル4でドキュメンタリーも制作。1967年生まれ)は、ユリ・ゲラーにインタビューをした。
70年代前半、ユリ・ゲラーは情報機関のために活動していたスパイだと言われており、その真偽を確かめるのが目的であった。
「私は現役に復帰した。私をそうさせたのは山羊をにらみ殺した男だ」
 という謎の言葉で対談は締めくくられた。ロンスンは山羊の男を捜しはじめる。


1年後。ロンスンは、ラスヴェガスでリン・ブキャナン軍曹に会った。彼はスタップルバイン将軍の元軍事スパイだった。彼の証言は次のようなものである。
スタップルバイン将軍は81年から84年の間、機密の軍事超能力スパイ部隊を指揮していた。メリーランド州フォート・ミード基地の厳戒態勢下の建物のなかに、5、6人の兵士が座って超能力者になろうとしていた。
隊員がソ連の軍艦とか未来の出来事の「透視」に成功すると、そのスケッチを指揮系統の上の方へと送る。1995年にCIAはこの超能力部隊を解散させた。
 

ロンスンの調査


次にロンスンはハワイのホノルルへ飛び、超能力スパイだったグレン・ホイートン退役一等軍曹に会う。
グレンの話によると、80年代半ば、特殊部隊は「ジェダイ計画」という暗号名をつけた秘密の構想に着手した。スーパー兵士を作り出す計画である。
そのパワーのレベル1は、部屋に入って椅子の数やコンセントの位置など、すぐさまあらゆる細部に気づく「気づき」の能力。
レベル2は直観力。レベル3は観察力と現実とのつながりを理解し、人から見えなくなる能力。
そしてレベル4の能力を手に入れたマイクル・エイチャニスという軍曹が部隊にいたという。彼は念ずるだけで山羊の心臓を止めることができたというのだ。



作者のジョン・ロンソンに関するドキュメンタリー


ロンスンはエイチャニスについてリサーチした。
彼は70年に2ヶ月ベトナムで戦い、公式には29人を撃ち殺した。その後、足とふくらはぎの一部を吹き飛ばされて、本国へ送り返された。
75年には韓国の武術である花郎道(フアランド)の唱道者になり、フォート・ブラッグ基地で特殊部隊(グリーンベレー)に「透明になる方法」などを教えた。
曰く「木のなかでは木のふりをする。開けた場所では岩のように丸まる。建物の間では配管のように見せかける。白壁を通り過ぎるときはリバーシブルの布切れを使うんだ」


70年代半ば、エイチャニスは『戦闘用ナイフ護身術』という本を出版し、一瞬相手を目に捕えるだけで、人を凍てつかせて攻撃する方法を唱えた。
その後、プロの冒険家のための雑誌『ソルジャー・オブ・フォーチュン』の担当編集者も務めた。
エイチャニスはよく自分を特殊部隊の前でジープに轢かせた。重量2500ポンドのジープを四輪駆動で走らせる。ジープがゆっくり走れば身体は耐えられる。
スピードを出せば、運動エネルギーの衝撃を受けることになる。しかし、エイチャニスは28歳のとき、ニカラグアで特殊部隊を率いている作戦中に死亡していた。