シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

『こころ』 夏目漱石 ④

johnfante2009-02-17

夏目漱石「こゝろ」を読みなおす (平凡社新書)

夏目漱石「こゝろ」を読みなおす (平凡社新書)

Kのモデル


夏目漱石は「昔、三角関係の罪深い恋に落ち友を裏切り、現在はその女と夫婦関係にある。そして子どもはいない。そして過去の傷に怯えながら生きている」という同じ設定で何本も小説を書いている。
『官能小説家』で夏目漱石をモデルに小説を書いた高橋源一郎は、Kのモデルについて乃木将軍や幸徳秋水説をとらずに石川啄木ではないかと推理する。


明治43年に書かれた石川啄木の評論「時代閉塞の状況」は未発表で、没後に発見されたものである。
当時朝日新聞の社員だった啄木にこの評論を依頼したのは、当時の文芸欄の責任者の夏目漱石だったと推測される。
ここに石川啄木夏目漱石の接点がある。
ところがその年の8、9月に漱石が体調を崩し、その後啄木が結核に倒れ未発表のままうやむやになってしまった。
この批評はとても過激で読みようによっては国家に立ち向かえというメッセージにもなっている。
大逆事件直後の状況で漱石はそんなものを新聞に載せられないと判断し内々に処理したのではないか。


Kは石川啄木


しかし、啄木は頭文字がKではない。冒頭に
「私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない」とある。
主人公は先生を頭文字では呼ばないと書いている。
これは「頭文字に気を付けろ」というヒントではないか。そして小説の中からKの特徴を調べてみる。
Kのプロフィールはまったくの創作ではないのかもしれない。


『こころ』大人になれなかった先生 (理想の教室)


「下」の十九節。
「Kは真宗の坊さんの子でした。尤も長男ではありません、次男でした。それである医者の所へ養子に遣られたのです。私の生まれた地方は大変本願寺派の勢力の強いところでしたから、真宗の坊さんは他のものに比べると、物質的に割が好かったようです」
本願寺派とは、浄土真宗本願寺派のこと。
またの名を一向宗で、宗祖は親鸞。本山は親鸞墓所の大谷廟堂がある京都の西本願寺
関西と北陸で勢力が強いが、室町時代親鸞比叡山の迫害を受けて、京都から越前の吉崎(現・福井県あわら市吉崎)へ逃れ、吉崎御坊寺を開山した。
このことから、先生とKの故郷は現在の福井県、もしくはその周辺の北陸の地域を念頭に置かれて書かれたのではないかと思われる。


Kは実家が寺である。
そして養子に出たために、学生時代に姓が変わっている。
高橋源一郎いわく、漱石の周囲の人物で学生時代に姓の変わったのは、啄木ひとりしかいない。
しかも、母方の旧姓は工藤で、頭文字がKになる。
啄木は中学の時に母方から父方の姓に籍を移している。啄木が姓を変えた理由は、父方の実家が僧侶で籍を入れることができなかったからだった、というのである。