シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

『こころ』 夏目漱石 ③

johnfante2009-02-13

増補 漱石論集成 (平凡社ライブラリー)

増補 漱石論集成 (平凡社ライブラリー)


漱石論集成』


漱石論集成』を書いた柄谷行人は、『こころ』を登場人物の心理分析に落としこまずに、人間が不可避的に条件づけられた「欲望」の理論によって考えようとしている。
たとえば、先生とKの関係は、単なる友情の関係ではない。
「下」の二十二節から二十三節。先生はKが経済的に困っており、その神経衰弱をやわらげてやりたいと考えて自分の下宿に連れてくる。
しかしその裏では、この禁欲的な理想主義者を畏敬していると同時に滑稽だと感じ、誘惑して崩壊させたいという無自覚的な「欲望」を持っている。


だから、異性のお嬢さんの傍にKを座らせようと下宿に連れこむのだ。
このとき、Kと先生の関係は、ちょうどモデルとライバルの関係にある。
先生はどこかでKを手本にしながら、Kのようには徹底してやれないと感じている。
そして、とてもKに及ばないと考えたとき、Kへの尊敬は憎悪に変わり、Kを堕落させたいと欲望する。
また、Kがお嬢さんを好きになることで、先生は尊敬するKにお嬢さんが結婚に値する女性だと認めてほしい。
だがそうなれば、必然的にKはお嬢さんを争う競争相手にもなる。


欲望の三角形


また、先生とKとお嬢さんの関係も、単なる恋愛の三角関係ではない。
先生は、Kからお嬢さんへの愛を先に聞かされてしまい、「いや、前から自分の方こそお嬢さんを愛しているのだ」と言うことができない。
この「言いそびれ」が後ほど重大な事態をまねく。
先生は常にKから一歩遅れている。先生はお嬢さんへの気持ちを寄せても、それを愛だとはっきりと意識するのは、Kがお嬢さんを愛するという指針を示してからだ。
Kという他者が介在することで、やや遅れて先生の恋愛が成立する。そして愛を意識したときには、すでにKを犠牲にしなくてはならない立場にあるというわけだ。


欲望の現象学―ロマンティークの虚像とロマネスクの真実 (叢書・ウニベルシタス)


柄谷行人はこの分析で、ルネ・ジラールの『欲望の現象学』を踏まえている。
ジラールの有名な「欲望の三角形」の理論は、簡単に言えば「人は他人が欲しがるものを欲しがる」ということだ。
たとえば、ある子供が放っておいたオモチャを他人が来てほしがると、急に子供はそれにこだわる。
あるいは、「美人」という基準は文化や時代によって変化するのに、「美人」は常にもてはやされる。
それは美人を獲得することが、他人にとって価値のある対象を獲得し、他人に承認されたいという欲望の現れであるからだ。
つまり、それは他者を欲望しているのだともいえ、個人の欲望には他人との関係がおりこまれている。


Kの自殺


Kが自殺した理由は、先生が後から気付くように、たんに失恋や友人の裏切りが原因ではなかった。
聖書やコーランやスウェデンボルグまで読む、極端な求道者タイプの男だった。
彼は世俗の価値を退け、内面的な精神の世界に優位性を見いだしたのは、近代国家として帝国化していく現実を否定するためだった。
それがお嬢さんという異性に惹かれてしまうことで、精神主義的な抵抗に挫折してしまったことが原因であろう。



夏目漱石ギャラリー


先生は明治天皇崩御し、生き残っているのは時勢遅れだと感じる。
また約一ヵ月後に乃木大将の殉死があり、その遺書を読んで「三十五年の間死のう死のう」と思っていたという件に心打たれる。
つまり、先生が「明治の精神に殉死する」というのは、別に明治の男らしくという意味ではなく、また明治天皇のためでも時代精神のためでもなく、モデルであるKとそのライバルだった自分が生きた時代の精神という意味であろう。
そして、今度もKや乃木大将という手本に遅れて、自殺という結論にいたる。
先生の自殺という決意もまた、他者の欲望を欲望した結果であったのだろう。