『病牀六尺』 ①
- 作者: 正岡子規
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1984/07/16
- メディア: 文庫
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右写真は、子規庵縁側にて(明治32年6月)
日記文学
正岡子規が脊椎カリエスを患い、闘病生活の中で書いた『病牀六尺』という日記文学は、いま読んでも「介護」と「リアリズム」の観点から興味深い。
六十五節と六十六節(岩波文庫版107頁〜)で、明治男の子規は「女子の教育が病気の介抱に必要である」と主張する。
病気が7年も進行するにつれて、子規は背骨が破壊されて身動きがとれなくなった。
生き死にの問題はあきらめてしまえばいいが、家族の女の看護が下手であると余計に苦痛が増すので我慢できない。
たとえば、子規は始終つきっきりの介護を必要としたが、家の女たちが家事を後まわしにするなどの機転が利かない。
そこで、常識を養うための教育が女子にも必要だと、愚痴をまじえながら唱えるのだ。
二種類の介護
六十九節では、「形式的介護」と「精神的介護」の違いについて述べている。
子規は「一家に病人が出来たといふやうな場合は丁度一国に戦が起つたのと同じやうなもの」と現実的な認識をしている。
そこで、食事や身のまわりの世話などの形式的介護よりも、同情や慰めをもった精神的介護の優位性を主張する。
なぜなら、病人を介護で満足させるのは至難のわざで、掛け布団の位置や傍にいてほしいか否かを推し量るなど、こまやかな対応はひとえに慰めの心から出てくるからだ。
そのためには、介護人は病人の性質と癖を知っておく必要があり、やはり家族の者がやるのが一番いいと子規はいっている。
これは明治期であろうが現代であろうが変わらない、介護の本質を述べた文章の一つであろう。