シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

『マレー蘭印紀行』 金子光晴

johnfante2009-11-12

右写真は、バトゥバハの日本人クラブ

洗面器


開高健の小説に「洗面器の唄」という短編小説がある(講談社文芸文庫『戦場の博物誌』所収)。
むろん、金子光晴の「洗面器」(『女たちのエレジー』)という詩にかけたものである。


洗面器のなかの
さびしい音よ。
くれてゆく岬(タンジョン)の
雨の碇泊(とまり)。


とはじまる詩である。
金子がマレー・インドネシアを旅してから、40〜50年後に、開高健ベトナムサイゴンで同じような洗面器の使い方を見たという。
金子は、洗面器は顔を洗うだけではなく、食事を作り、女たちが尿をするものであると書いた。
だが、開高はさらに洗面器でコオロギにレスリングをさせたり、盆栽の入れ物に使ったりするのを見て、産湯や死に水にも洗面器を使うのだろうと言っている。

森の尿



金子光晴の『マレー蘭印紀行』の最初におかれた「ヤンブロン河」という章には、船着場から川へ流される糞尿の姿が詩情によってとらえられている。
それ対応するのように、この章の終わりでは、ジャングルを貫いて出てくる川の水が「森の尿(はばり)」と見られている。
金子は排泄物を人間存在や世界のどうしようもなさとして、しんみりとした抒情的として書くことができた詩人であった。


ところで、『マレー蘭印紀行』のあとがきによれば、ここに収録された文章は、実際の放浪の旅から10数年かけて書かれたものであるとのことだ。
金子光晴のマレーシア・インドネシアへの旅は、昭和3年から7年にかけてであったが、本が上梓されたのは昭和15年のことであった。
2009年10月に亡くなったレヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』も、彼のブラジルへの旅から20年後に書かれたものであったことを考え合わせてみる。
すると、透徹した詩情を持つ散文には、ある一定の時間と記憶のなかでの醸造が必要なのであろうか、と思えてくるのだ。