シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

「漱石と近代日本文学」江藤淳講演CD

johnfante2012-04-18


文芸評論家の江藤淳の講演3本を収録したCDセット「漱石と近代日本文学」を献本頂いた。
これを時間かけて、大事に聴いてきて、思い出したのは個人的なことばかりだった。


http://www.keio-up.co.jp/np/isbn/9784766419122/


僕が18歳のときに入学した大学の新学部・新キャンパスは4年目で、ちょうど全学年が揃ったところだった。
そこで、文学の講義をしていたのだが江藤淳だったのだ。
あまり意識したことがなかったが、はじめて接触した文学者が江藤淳であり、文芸評論家だったというのは、意外と自分の生に影響を投げかけているのかもしれない。
何せ、18歳のときから4年間、彼の講義を聴き続け、彼に直接叱られたり、ゼミで良い成績を貰ったのが思い出になっているのだから。


そして、仲間たちと一緒につくった「ユニオン会」というサークルで同人誌を出していたのだが、江藤先生はその学術文芸サークルの顧問にまでなってくれたのだ。
1年生のときの授業では、江藤先生は『リアリズムの源流』という著書をもとに、近代以前の文芸からいかにして明治の文学者たちが、言文一致体を生み出していったのか。
滝沢馬琴などの戯作の世界から、二葉亭四迷高浜虚子正岡子規などが生み出した「写生文」を例にとって講義をしていた。
ピシッと背筋をのばし、折り目正しいスーツ姿で、あの低い端正な声で淀みなくしゃべる先生だった。
このCDを聴いていると、江藤先生がすぐそこにいるかのような強い現実感があり、ちょっと冷静でいられなくなった。


1999年に先生が自裁したときも、僕は鎌倉の葬儀に参列しなかった。
2005年に「三田文学」に長めの江藤淳論を書かせてもらい、それで自分としては学恩を返したつもりになっていた。
最近、自分がちょっとした先生業をするようになり、親になって親の気持ちがわかるようになるように、先生になって先生の気持ちが少しわかるようになった。


江藤淳というペンネームは、江頭敦夫という人が作り出したもので、その人格は先生が「かくあるべき」と考える虚構的な人格だった。
僕らが「先生」として、あるいは書物の著者として触れていた江藤淳は、みんなその虚構のものだったのだと思う。
江藤先生は見事にその虚構の人格と自己を一致させていたが、それが奥さんが亡くなった後の病状ではかなわなくなったのだろう。
それが、あの自裁の理由だと思うし、江頭敦夫が江藤淳を葬ったという「他殺」の原因ではなかったか。