アンネリーゼ・ミシェルの悪魔祓い

johnfante2006-05-30

エミリー・ローズ ノーカット版 [DVD]


 ドイツで起きたアンネリーゼ・ミシェルをめぐる死亡事件をベースにした作品。
 舞台はアメリカに置き換えられている。
 てんかんの発作を悪魔憑きと信じた女性が悪魔払いの儀式のために病気の治療を中止し、結果23歳という若さで死亡。悪魔払いを執り行った神父は過失致死罪を問われ裁判にかけられる。
 この映画はオカルトというより、この裁判の経緯を描くことを主としており、悪魔憑きやエクソシズム(悪魔祓い)が司法によって、どのように裁かれ、評価されたかが注目された。

バイエルンの悪魔


 てんかんを病んでいた23歳の娘を悪魔にとりつかれたとして、悪魔祓いの儀式にかけ、とうとう飢え死にさせた…。
 カトリックの神父2人とその両親に対する過失致死罪の裁判が、1978年3月30日、西独南部のアシャッフェンブルク(人口約6万9千人、バイエルン州)で始まった。
 映画でも有名になった「エクソシスト」(悪魔祓い)がまだ現実に生きていたと西独市民の関心を集めた。
 起訴されたのは、カトリックのエルンスト・アルト司祭(41)とアーノルト・レンツ(67)およびクリンゲンベルク町の製材業ヨゼフとアンナ・ミシェル夫妻。


 ミシェル夫妻の娘アンネリーゼは小さい時から病気がちだった。
 14歳のときひきつけを起こしてからたびたび同じ症状に見舞われた。神経科てんかんと診断され、治療を受けたが、はかばかしくなかった。
 母親のアンナはもともと信心深いたちであった。かねてから付き合いの深かったレンツ神父に相談したところ、神様に頼るしかないといわれ、父親のヨゼフともども、すっかりそう思い込んだ。
 3人が悪魔祓いの大家といわれるフランクフルトのアドルフ・ロデウィク神父に連絡をとったところ「十字架を見せたらかみついてきたという以上、悪魔にとりつかれていることは明らかだ」として、1614年のパウル5世の儀式書にのっとって悪魔ばらいの儀式が行われることになった。



 儀式はレンツ神父とアルト司祭の手で、75年9月から始まり、平均週3回、アンネリーゼが死ぬまでの約9カ月にわたって続けられた。
 その間、アンネリーゼ自身も、自分が悪魔に魅いられていると信じはじめ、自ら儀式を受けることを望んだという。レンツ神父が儀式の模様を43本のテープ(実在するかどうかは判明していない)に納めている。
 それによると、神父らの祈りの言葉にまじって、アンネリーゼの異様なうめき声、意味不明なうわごとが聞こえ、映画の場面そっくりの不気味な雰囲気に満ちている。
 祈りの文句の中には、悪魔の代名詞として6人の名前があげられているが、中にユダ、カイン、ネロの名前もあった。


クリンゲンベルク事件の裁判


 アンネリーゼは76年7月死亡したが、死亡診断に当たった医師の診断は、餓死に近い栄養失調だった。
 警察の調べでは死亡前の2カ月間は連続して儀式が行われ、絶食状態だったことが明らかになっている。
 77年2月、アンネリーゼの遺体は、「再び生き返る」と奇跡を信じている両親の願いで発掘された。掘り返されたアンネリーゼの棺は、死亡当時23歳だったにもかかわらず、子ども用の小さなもので、骨と皮ばかりだった様子をしのばせたという。



 神父2人と娘の両親に対する判決公判が1978年4月21日、西独アシャッフェンブルクの裁判所で開かれた。
 4人にそれぞれ懲役6カ月(執行猶予3年)の判決が下された。
 判決は、アンネリーゼは単なるてんかんだったとして、「祈りよりも医者を必要としていた」と4人の過失致死罪を認めた。しかし、被告らが主張していた「悪魔の存在」については、その信仰を裁くことは、この裁判の目的ではない、と判断を避けた。


アンネリーゼ・ミシェルの生涯


 1952 年9月21日にアンネリーゼ・ミシェルは出生した。
 幼年期は通常の女の子として、宗教的に堅信的な家庭で養育された。1968年、突如として体が震え始めて、体をコントロールすることができないとわかったとき、彼女の人生は変わった。
 アンネリーゼは彼女の両親のヨセフとアンナ、それに3人の姉妹の誰をも助けを求めるために大声で呼ぶことができなかった。神経科医は、彼女を癲癇持ちであると診断した。癲癇発作の強さと、それに続く抑鬱状態のひどさのため、アンネリーゼは処置を受けるために入院した。
 1970年の秋ごろから、アンネリーゼは毎日のように顰め面をした悪魔のような顔のヴィジョンを見るようになった。世界中で若者たちが自由主義謳歌している時期に、彼女は自分が悪魔に乗り移られたのではないか、という疑念と戦っていた。
 それから幻聴のなかの声が、彼女を追いかけるようになった。悪魔が彼女に指令を与えはじめた。アンネリーゼは医者や医療が彼女のことを治療することができる、という望みを失いはじめていた。



 1973 年夏にアンネリーゼの両親は、悪魔払いを要請するためにある神父を訪ねた。彼らの要請は拒否された。そして、20才のアンネリーゼは薬物療法と医療的処置を続けることを勧められた。
 悪魔祓いを受けるためには、教会が厳密に規定している条件をクリアし、悪魔憑きとしての証明を得なければならない。そして全ての基準が満たされるまで、司教は悪魔払いを承認することができないのである。少しその例を挙げれば、その人がこれまで学んだことのない言語(ラテン語や古代語など)を話したりすることが必要条件になっていた。

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