シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

ブランチ・ダビディアン 81人の集団自殺

johnfante2006-06-02

Waco: The Rules of Engagement [DVD] [Import]

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 2時間のドキュメンタリー映画『Waco - The Rules of Engagement』 (1997)は、タイトルを直訳するとすれば『ウェイコ −その交戦の規則−』となるであろうか。
 本作は2006年6月現在では、輸入DVDとしてのみ入手可能で、字幕はなく、英語の音声のみとなっている。このような傑作が日本で未公開のまま、誰にも知られずに忘れ去られてしまうのは非常に惜しい。


 この映画は、1993年にテキサス州のウェイコで起きた、キリスト教カルト教団、ブランチ・ダビディアンによる51日間のたてこもりと、集団自殺を扱った記録映画だ。
 後に行われた公判を縦軸として、当時の事件を振り返りながら、その事実関係を検証しなおしていくというスタイルをとっている。基本路線としては、集団自殺として扱われた事件が、FBIのミスによって引き起こされたのではないかという疑義を、豊富な映像資料を使って反証していくという内容になっている。



 映画におさめられた、当時の映像フッテージは、資料としても魅力的だ。
 音楽ステージの前で、カリスマ性あふれる演説で聴衆や信者たちを魅了するコレシュの姿。2月28日のATFによる突撃の際のリアルタイム映像。
 銃弾に倒れたATFのエージェントの生々しい姿。当時、教団本部の内部で信者たちの手によって撮影されていたビデオ(指導者のデイヴィッド・コレシュが、ATFの銃弾によってできた自分の傷口を見せるフェティッシュな場面など)。
 教団本部に居住していたが、中途で投降した生存者たちに対するインタビュー。集団自殺後の焼け跡から、見つかった焼死死体のノーカット映像など。
 DVD版の特典映像には、赤外線カメラの映像を分析する専門家の話が入っている。この映画は、アカデミー賞ドキュメンタリー部門にノミネートされた。

デイヴィッド・コレシュとは誰か


 本名をバーノン・ハウエルという。1959年8月17日テキサス州ヒューストン生まれ。
 キリスト教系のカルト教団、ブランチダビィディアンの指導者。
 コレシュは7つの封印(Seven Seals)を解放できる唯一の救世主であり、ブランチダビディアンは最後の審判の日に生き残ることを神に認められた、選ばれた人々だという教義を説いた。
 1993年4月19日、テキサス州ウェイコの教団施設に51日間立てこもり、FBIと銃撃戦の末、信者80人を道づれにして自殺した。しかし、現在の検証では、FBIのミスによって人びとが自殺に追い込まれたか、あるいは火事に巻き込まれて死んだという見方が有力になっている。
 キリスト教徒が多数を占めるアメリカ社会では、一般的に「政府が信教の自由を弾圧した」と考える人が多く、当時のマスコミも政府批判一色だった。信者には多数のエリート青年が含まれていた。
 デイヴィッド・コレシュが出産された当時、母親は15歳で未婚だったという。祖父母に育てられた。父親は不明。コレシュは、のちにFBIとの包囲中のテレビ出演中に、子供の頃は孤独だったと述べている。
 失読症で高校を卒業できずに、中退した。ただ、音楽の才能と聖書への関心では、他人にぬきんでていた。12歳でほぼ聖書を暗唱。17歳で自分がキリストであるという妄想を抱いた。 ロックスターをめざしてハリウッドに出るが、芽が出なかった。仕事に就くが聖書の話ばかりしていて首になることが続いたが、ブランチ・ダビディアンに入信して頭角を現した。
 この人がロックバンドを続けていたら、もっと違う人生を歩むことになっていただろう。


ウェイコの教団本部にATFが襲撃


 1990年デイヴィッド・コレシュは、ブランチ・ダビディアンの指導者に就任した。コレシュとは、バビロン捕囚からユダヤ人を解放した、ペルシャ皇帝キュロス2世の「キュロス」をヘブライ語訳したものであるという。デビッドはいわずとしれた、ダビデの英語読みで、イスラエル2代皇帝のことである。

 教団代表に就任した後は献金集めに奔走するが、巡礼と称してイスラエルに観光に行くなど金遣いは荒かった。 また信者の少女に性的虐待や猥褻行為を行っていたといわれている。教団は、児童虐待や武器の不法所持の容疑をかけられていた。
 93年の2月、教団が大量の武器を集め、信者の子供を虐待しているとして、就任間もない司法長官ジャネット・リノが、テキサス州のウェイコにある教団本部に対して、攻撃する命令を下した。
 ATF(アルコール・タバコ・火器局。アルコールの密造・脱税、違法タバコ・銃器の取締まりなどを任務とする)が、2月28日に100人の武装したチームを突入させるが、大型対戦車ライフルや手榴弾などをはじめ、大量の武器弾薬で反撃されて失敗に終わった。
 ATFの捜査官4人、教徒6人が死亡。管轄がFBIに移った。後日、4人のATF捜査官を殺害したとして起訴された11人の教徒は「正当防衛」で無罪になった。社会に実害がなかった以上、放って置けばよかったという判断である。また、テキサス州は伝統的に銃器を持つことが広く認められている土地でもあった。


51日間の立てこもり


 2月28日の夕方、コレシュはCNNに生出演した。
 自分は、7つの封印を説くことが出来る唯一の「神の子羊」であり、この戦いは世界最終戦争の前哨戦だと語った。3月2日には、手榴弾を体に巻いて、「自殺してやる」とテレビカメラの前で叫んだ。
 FBIは延べ215時間、754回にわたって電話交渉を続けた。応対はコレシュ本人が多かったが、ハーバード出身の弁護士ウェイン・マーティンや、側近のスティーブ・シュナイダーも交渉に応じた。
 現場から2kmほど離れたところにマスコミ村ができ、記者や野次馬めあてに屋台が出た。隣接する土地を所有する男性が望遠鏡を設置したところ、長い行列が出来た。これは映画のなかでも記録されている。
 1ヶ月以上にわたる膠着状態の中、様々な交渉が試みられたが、教団側は1年以上の食料と水を蓄えていたため、交渉は手詰まりになった。司法長官リノは「教団が子供を虐待している」とのFBIからの報告を受け、強行策を決断した。


悲劇は起こった


 1993年4月19日早朝、81人の信者(25人の子供を含む)が施設内にいた。
 FBIは19台の戦車、装甲車、武装したヘリコプターなどを使用して、教団施設を攻撃した。壁に穴をあけ、催涙ガス(CS)であぶり出す作戦だった。
 FBIと銃撃戦の末、コレシュは80人の信者を道連れに自殺してしまった。信者のほとんどは焼死と見られるが、火を放ったのが誰かが問題になっている。このドキュメンタリー映画の焦点は、まさにここに絞られていると言っていい。

 放火したのは信者の一人で、戦車を破壊しようとしたためという説があるが、FBIが発射した濃縮催涙弾が可燃性だったため、それに誤って引火したという説が有力である。自動小銃らしき、発砲の直後に発火した映像が残っている。
 FBIは一発も実弾は発射していないと主張しているが、マスコミが赤外線カメラでヘリコプターから撮影した映像には、銃弾の発射の模様が鮮明に映っている。また信者が脱出しようとしていたところに、実弾攻撃を加えたという証言もある。
 一連の教団施設攻撃は、適正手続きという点から政府の対処に問題があったとして、批判を浴びたFBI長官セッションズは、この事件後まもなく辞任している。教団は2006年現在も存続しており、粛々と独自の活動を展開している様子である。



《参考》
ブランチ・ダビディアンのHP http://www.sevenseals.com/main.html

狂信―ブランチ・ダビディアンの悲劇 人はなぜ“メシア”を求めるのか

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