シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

『こころ』 夏目漱石 ①

johnfante2009-02-06

こころ (集英社文庫)

こころ (集英社文庫)

最初の謎かけ


夏目漱石コナン・ドイルの八歳年下で同時代人だが、『こゝろ』という小説は一種のミステリーのテイストを持っており、推理小説的手法を存分に使っている。
読者への最初の謎かけは、機能としての話者である「私」という大学生が、どうしてこうも「先生」という人物に惹きつけられるのか、だろう。
私は鎌倉で海水浴をしていて、掛小屋(海の家)で猿股姿で着替える西洋人と一緒の先生を見て、好奇心を持つ(漱石がロンドンから帰国後、ラフカディオ・ハーンの後任として東京帝大で英文学の講師になったことから、この西洋人のモデルはハーンだとする説もあるらしい)。


そして、私は異性との恋につかれた青年のように、毎日同じ時間に由比ガ浜へ出かけ、先生の姿を探す。
ここには多分にエロティックな描写がある。先生が「一人で泳ぎだした時、私は急にその後が追い掛けたくなった」というから尋常ではない。
そして、ついに私は着替え中の先生の眼鏡を拾って話しかけることに成功し、翌日に太陽の下で先生と二人きりで泳ぐ。
これ以降、私が自分から先生に近づいていき、その内面を知っていく過程が物語前半の推進力になっている。


異性の代替物


「私」がとりつかれたように「先生」を追いかける謎は、後ほどきちんと解明される。
「上 先生と私」第十三節の、上野で桜を見ながら先生と私が交わす対話がそれだ。
先生は、私に恋する異性がないために、物足りないから先生のことを追いかけまわすのだ、という。
私はすでに恋の階段をのぼっており、「異性と抱き合う順序として、まず同性の」先生のところにきた。



しかし、先生は私に満足を与えることはできないという。
つまり先生と私の関係は師弟関係や兄弟分の関係ではない。
それは私が異性の代替物として同性と関係を深めていき、その心情を打ち明けあい、魂を交流させるという、まだ生まれぬ恋愛の予行演習なのだ。 
 

焦らしの手法


夏目漱石の『こゝろ』における推理小説的手法は、読者に先へ先へと読ませる駆動力になっている。
現代の純文学でいえば、村上春樹がその手法を得意としているところのものだ。
恋する者のように「私」は先生の周辺をかぎまわり、段々と興味が過去の謎へと集中していく。


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「上」の十二節では、Kが奥さんとの恋愛の裏に悲劇を持っており、そのために自殺したことがにおわされる。
十節では、先生は真実を話そうとして私を焦らしていたことを反省し、十五節で雑司が谷にある墓と先生の恋愛事件との関係がほのめかされる。
漱石は先生が持っている謎というものを小出しにしていき、話者と一体化した読者は「私」と一緒に焦らされ続け、小説を読むことを止められなくなるといった具合なのである。