シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

月のひつじ ②

johnfante2009-10-06



打ち上げから2日目


7月17日の木曜日。
アポロ11号は順調にオーストラリア西岸上空を飛行中だった。アームストロング船長は「いい旅になる」とコメントした。
世界中が月への夢を大きく膨らませた。
月面着陸を前にして、羊ばかりのいる小さな田舎町は、ひっくり返らんばかりの騒ぎとなった。
パークスの町にアメリカ大使、オーストラリア首相などの政治家や、世界中から取材のジャーナリストたちが一挙に押し寄せたからだ。


町長のボブはパラボラアンテナを誘致した第一人者だったが、今まで「ほら吹き」とか「夢想家」と密かに人々から嘲笑されていた。
それが現実になったのだから、ボブは鼻高々だった。町長のことを馬鹿にしていた住民たちも、彼のことを見直し、ボブの国会議員選出馬までがささやかれるようになった。
パークスの町の人々は、お偉いさんを出迎えるパレードやパーティに忙しく、ジャーナリストの取材を次々に受けており、そのほかの時間はテレビから放送されるアポロ11号のニュースに釘付けとなっていた。


主要中継基地へ


NASAの科学者たちのなかには、羊しかいない国で本当に宇宙事業ができるのかと疑う者も多かった。
直径63メートル、重さ1000トン。パークスの望遠鏡は天文台であり、空の全域における電波源を追うように設計されている。
毎分10度〜25度のスピードで追跡できるが、これは非常い遅いため、地球軌道を移動する衛星などのトラッキングには向いていない。
そのかわり非常に精密なパークスのアンテナ「ディッシュ(皿)」は、月面におけるアポロ11号のようなあまり早く動かない対象に向いていた。


パークス天文台アポロ11号を追跡し、音質やデータを受信することになったのだが、なんといっても最大の任務は月面着陸の生中継だった。
アポロ11号が発射される前に、必要な設備を整えるためにNASAからオーストラリアにやってきた技術者たちは、アメリカとの違いにショックを受けていた。
オーストラリアの技師たちのやり方は、何もかもが大雑把に見えた。
設備に関しても、世界最高のヒューストンの管制センターとは比べものにならないくらい貧弱い見えた。



パークスが主要中継基地にグレードアップすることは、そこにすべての機材が揃っていなければならないことを意味した。
その準備の間、ジョン・ボルトンら所員のストレスはたまっていった。パーティ三昧の町長のボブから様子をうかがう電話が来ても、忙しくて出られないほどだった。
NASAから来た技術者たちの協力によって、新たに2セットのレシーバー、2セットのマイクロ波リレー、2セットの通信機材を設置した。
操作技師のロバート・テイラーとニール・メーソン(Neil Mason)はアンテナとレシーバーの動きのチェックを、主任技師のタフィー・ボウエンとバズ・オルドリン(Buzz Aldrin)はあらゆる事態に備えたトラッキングの準備を重ねていった。


月面着陸の日


1969年7月21日の早朝。
ジョン・ボルトンは準備が整い、ようやくひと息をついていた。リチャードの走査コンバーターもようやく修理とテストが終わり、ライブのテレビ映像を受信する用意ができていた。
所長のジョンに技師のロバートやタフィーら所員たちは寄り添って、コロンビア号から中継されている音声に聞き入っていた。


月の軌道上で、月着陸船イーグルは司令船コロンビアから切り離された。
宇宙飛行士のマイケル・コリンズは一人でコロンビアに残り、旋回するイーグルを慎重に点検した。アームストロング船長とオルドリンは、イーグルのエンジンに点火し、月面への降下を開始した。
しかし、しばらくして二人は、自分たちが予定よりも長く飛んでしまっていることに気づいた。
イーグルは予定の降下軌道に比べて、約4秒分ほど遠い位置に達しており、当初の着陸地点から数マイル西に着陸する見込みだった。これでは途中で燃料切れになる可能性がある。



イーグルが降下する間、着陸船の航法誘導コンピュータは何度か「プログラム警告」を表示した。
これらの警告のためにクルーは降下中に船外に注意を払う余裕がなくなった。
後にこれは、不要なレーダー用の計算処理のためにコンピュータが予定外の時間を消費した「実行オーバーフロー」であったことが判明している。


ヒューストンにあるNASAの管制センターでは、スティーブ・ベイルズ(Steeve Bales)という若い管制官が、警告表示は出ているが降下を続けて問題ないことをイーグルに伝えた。
二人の飛行士は船外へと注意を戻すと、コンピュータがイーグルを大きなクレーターの周囲に大きい岩石がたくさん転がっている場所へと、誘導していることにようやく気づいた。
この時点でアームストロングは月着陸船を手動操縦へと切り替え、7月21日午前6時17分に無事に着陸した。
着陸したとき、残りの燃料は30秒分しか残っていなかった。危うく月面で何らかの事故が起きるところだった。


手に汗を握って聞き入っていたジョン、ロバート、タフィーら、パークス天文台の所員らから歓声があがった。
「冷や冷やさせやがる」とロバート。
「まったくだ」とタフィーがいった。
「さあ、みんないよいよだ。午後には中継がはじまるから、準備をしてくれ」とジョン・ボルトンは指示を出した。