シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

月のひつじ ③

johnfante2009-10-08



月のひつじ』(原題:THE DISH オーストラリア映画)の裏にあったリアル・ストーリーです。


襲いかかる困難


 1969年7月21日、午前6時17分。
 宇宙飛行士のニール・アームストロングエドウィン・アルドリンは、月着陸船イーグル号によって、月面にある「静かの海」に着陸した。
予定では、宇宙飛行士たちはムーンウォーク(月面歩行)を試みる前に、休憩を入れる手筈になっていた。
そうしているうちに、午後になり、月がパークス天文台の頭上までのぼってくる計算になっていた。パークスでの月の出時刻は12時50分の予定だった。


そのとき、所長のジョン・ボルトンは驚いて顔を上げた。ヒューストン管制センターと月着陸船イーグルのやりとりを聞いていたのだが、アームストロング船長が計画を破棄して、即座に月面歩行することを決定したというのだ。
「船長は男気があるねえ」ロバートが感心したようにいった。
「しかし、われわれの出番はなくなったのかもしれないな」タフィーがいった。
これでは一番初めの予定と同じで、カリフォルニアのゴールドストーン天文台が受信することになる見込みだった。このスケジュールで行くと、パークスでは月が出る前に月面歩行が終わってしまうことになる。
ジョンはNASAからの連絡を受けて、いつでもバックアップする体勢はとれていると伝えた。



アポロ11号 人類初の月面歩行


しかし、事態はまたもや予測のつかない方へと動き、急転した。
宇宙飛行士たちが宇宙服を着て、月着陸船イーグルの気密室を減圧するのには長い時間がかかったのだ。
彼らがようやくイーグルの外に出る準備ができたのは、12時を過ぎてからだった。まだパークスでは月が出る前だった。ジョン・ボルトンは焦った。
「もう少しだ。もう少しだけ待ってくれ。このままでは、われわれの受信はまだできない」
「もうこの時間では、ゴールドストーンでは月が沈みはじめてしまう。キャンベラのアンテナも小さいから、大した映像は得られない。まずいことになったな」タフィーがいった。


命を張った技師たち


さらに、トラブルがパークス天文台に突然おそいかかった。
月の出に合わせて、望遠鏡の「皿」を垂直に近い傾斜に傾けている間に、とんでもない強風が吹きはじめたのだ。瞬間風速110キロメートル(風速約30メートル=普通は立っていられないほどの強さ)の強風がアンテナをあおり、支柱部分にある制御室をも震わせた。
それは生命の危険を感じるほどの恐怖だった。パークスの安全基準では風速15メートルがセイフティ・リミットとなっていた。その2倍ほどの強さの突風が吹きはじめたのだ。


天候の安定しているパークスでは滅多に起こらない現象だった。
操作技師のロバートは、望遠鏡を急いで天頂にむけた。それが一番風に強い姿勢だった。再びアンテナを傾ければ非常に危険な状態になる。望遠鏡と天文台の建物自体が崩壊しかねない緊急事態になってしまうのだ。



所長のジョン・ボルトンは肩をがっくりと落とした。
「ここまでだ。これでは皿もろとも、われわれまで吹き飛ばされてしまう。いまここにいるみんなの命がかかっているんだ。責任者として無理をすることはできない。人命のためだ、世界だって納得してくれるだろう」
 制御室にいた技師たちはうつむいた。あらゆる困難を乗り越えてこの輝かしい日まできたのに、肝心のテレビ中継ができなくなったのだ。

 そのとき、ロバートがいった。
「ときには勇気を試すときが必要だ、と所長は以前言ってましたね。やりましょう」
 ジョン・ボルトンがみなの顔を見ると、みなは黙って頷いた。これでジョン・ボルトンの決心はついた。
「よし、風が凪いだときを見計らって、シグナルの追跡を開始する!」
 技師のタフィーとバズ・オルドリンは冷静になろうと努めた。命にかえても受信してやると決意した。風が弱まったときに、ロバートは皿を傾けた。タフィーとバズは受信機を作動させて、シグナルのトラッキングがはじまった。


技師のロバートとニール・メーソンは操作デスクの前に座っていた。彼らの手は汗まみれだった。風が再び強くなったときに備えて、ニールがあらゆる兆候を見逃さないことが、みんなの命にかかわることだった。