シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

『ブルターニュ 死の伝承』

johnfante2009-09-29

ブルターニュ死の伝承 [ アナトール・ル・ブラーズ ]


アナトール・ル=ブラースという人が書いた『ブルターニュ 死の伝承』という翻訳書を、少しずつ読み進めている。
なにせ訳注を入れると700ページ以上もある大部の書物で、そのような読み方がぴったり合っている本である。
ひと言でいえば、ラフカディオ・ハーンの『怪談』のブルターニュ版といってもいい。


ブルターニュ地方


フランスのブルターニュ地方は、アイルランドウェールズからの移民してきたケルト系の末裔の人々が住んでいる。
ブルトン人とも呼ばれ、フランス語とは異なる系統のブルトン語を話し、古くから伝えられる風習を頑固に守っている。


19世紀末、作者のアナトール・ル=ブラースはブルトン人の高校教師だった。
次第に消えていくブルターニュ独特の文化、言葉、民間伝承の姿に危機感を覚えて、ブルトン語の民話の語り手のもとを訪れて、ひとつひとつ民話を収集していった。それが、この労作である。
この本は一般の人々からも大きな反響を呼び、英語にも翻訳されて、ケルト文化が見直され、学問としての地位を確立するのに一役買ったという。


口述伝承の採集


ル=ブラースが信心深い人びとに話を聞いてまわっていると、なぜ死に関する民間信仰になど興味を持つのか訝られ、「死者ってもんは、冗談を嫌いますからな。死者を怒らせて、呪いでもかけられては大変ですからねえ!」と抵抗にあったという。


そこでル・ブラースは、ほそぼそと漁師や海草集めをして暮らす海辺の小さな集落ポール・ブランに別荘を手に入れ、長い休暇ごとにそこに住み込むことにした。
そして、土曜の夜ごとに人びとに「おしゃべり」に来てもらい、夜な夜な訪問者から怪談話を集めることにしたのだ。
会合ではコーヒーを出し、男たちはパイプを燻らせて、ゆったりとした時間を演出する。これが功を奏し、口を噤んでいた人びとが次第に熱におかされるように、闇のなかで饒舌な語り部へと変身する姿を彼は何度も目撃したのだった。



おもしろいのは、「死の伝承」という題にもあるように、この書物が「死」にまつわる口述伝承ばかりを集めていることだ。
「死の前ぶれ」「人が死ぬ前」「人が亡くなったあと」という風に、死者の書のように段階を追って章立てをしている。
これによって、読む者は一歩ずつブルターニュの異界への階梯を降りていくことになる。


口述伝承なので、物語の登場人物は彼らの親、兄弟、親戚、隣人など身近な人びとが多い。
遠くインドまで航海に出かけた兄の死が、誰もいない海で船のオールを漕ぐ音で知らされる「オールの前ぶれ」。
憎い相手を死にいたらしめるときに、呪い師から穴のあいた銅貨をもらい、ミサのときに相手のポケットにこっそり滑り込ませる方法など。
ル=ブラースがそれをどこの集落で誰に聞いたのか、実名を記録しているところもいい。


ケルトの異界観


死後の世界、つまりはケルト人にとっての異界とは、どこにあるのだろうか。
海沿いに住む人々は、大西洋に浮かぶいつくかの島を死者が過ごす場所だと考え、ブリテン島が死者のふるさとだと信じていたという。内陸部では、それはまた別の場所になる。
いずれにせよ、ブルトン人が生まれつき幻想的なものや超自然的なものに想像をたくましくするのには、ブルターニュの土地の風土が関係しているとル=ブラースはいう。

「おぼろな光、しじゅう立ちこめる霧、そのせいで、ときどき奇妙に変形して見える事物。浜辺の岩や木の幹は、それ自体すでにへんてこな形をしているのに、ぼんやりとした光と濃霧のせいで、いっそうおかしな動きをしているように見え、そのシルエットはまるで怪物のようだ。海の咆哮は絶えず調子を変え、海岸線が滑らかであることはない」


夕暮れどきに、そのような人が通らなくなった古い道をたどりながら、ふいに見知らぬ通行人と出くわすと、幽霊に出会ったような気がしても不思議ではない。
「荒々しく、不吉な感じさえするこんな孤独な土地には、おのずと伝説が生まれる」とル=ブラースはいう。
ブルターニュ地方、一度は行ってみたい土地である。



※フランスでは『ブルターニュ 死の伝承』はバンドデシネ(芸術性の高いコミック)にもなっている。