シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

シャドウ・ダイバー ①

johnfante2007-02-04



※ 2007年にアメリカでこの話を原作とした、リドリー・スコット監督作のハリウッド映画『Shadow Divers』が公開される予定

レック(沈没船)・ダイビングとは?

 

レック・ダイビングとは、海底に沈んだ遭難船まで潜り、船を調査して名前や来歴をつきとめ、その遺品を持ち帰ることを目的とする、特殊なダイビングのことだ。
水深40〜50メートル以上の場所では身体へのダメージが大きくなるし、視界が悪く障害物の多い船内には危険も多い。小さなトラブルや判断ミスは、そのまま死につながる。
「人間のもっとも基本的な本能。息をすること、見ること、危険から遠ざかることに反する」ため、レック・ダイビングは「世界でも有数の危険なスポーツ」である。
しかし、これはスポーツというより、冒険や探検に近いものである。
エベレスト登頂、北極圏踏破、南米奥地への調査行といった、ふつうの人間なら尻込みするような過酷な冒険と同種のものである。


海底に沈没した昔の客船や軍艦に潜り、冒険の証として磁器、海図、舵輪などの遺物を持ち帰るレック・ダイビング。それは血液が窒素で泡立つ減圧症、船内に閉じこめられる、潮に流されるなど、幾通りもの死に方が準備されている危険なレジャー・スポーツだ。
なぜ、海に潜るのに、わざわざ危険なやりかたを選ぶのだろうか。

沈没船との運命的な出会い


1991年のニュージャージーでのこと。
レック・ダイバーのジョン・チャタトンは、長身でいかつい体格の40歳の職業ダイバーだった。
友人のネイグルがスキーツという男から、謎の沈没船がしずんでいるらしい、ダイビング・ポイントの数字をもらっていた。
探査船〈シーカー〉の船長のネイグルは飲酒がたたって、ダイビングできない体になっていた。
2人はトランプ遊びをするように、海底にあるものの可能性を並べ立てた。
両大戦中もニュージャージーの海域では戦闘はほとんどなかったから、軍艦や戦時中の商船である可能性は低い。
30年代にハリウッドのパニック映画のために沈められた〈コーバリス〉ではないか。
ただの堆積した岩かもしれない。
一番ありそうなのは、昔のごみ運搬船であろう。
でも、もしかすると、まだ知られていない大物沈没船かもしれない、と心をふるわせた。


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1991年9月2日、チャタトンとネイグルを含む、探検ツアーに参加する12人のダイバーが、装備一式を持って探査艇〈シーカー〉に乗り込んだ。
数字の海域まで6時間の船旅だった。
操舵室のチャタトンとネイグルは、自動操縦装置をセットした。
「数字の場所に何かあるぞ」とネイグル。
「船は横向きで沈んでいるのかな」とチャタトン。
芝刈りと呼ばれる、船でその上を何度も通過することを続けた。
計器は物体の水深を70メートルと表示した。
経験者に深すぎると思われる数値だった。
アンカー・ロープを垂らし、チャタトンが先に潜っていった。
66メートル。視界は3メートルもない。
船体はゆるやかな筒型に見えた。壁際にある形が見えた。
窒素酔いで幻覚を見たのかと思った。
安定板。スクリュー。葉巻型の形。魚雷だった。
減圧しながら、少しずつ海面まで浮上していった。

謎のUボート


チャタトンが船に戻ると、潜水艦だと聞いたダイバーの何人かは興奮した。
他のダイバーたちも我先に潜っていった。
全員が未踏の潜水艦に有頂天だった。
それは写真で見たことのあるUボートにそっくりだった。
「戦争末期にヒトラーがドイツを脱出しようとしたという説がなかったか? 潜水艦にナチの財宝が満載されているかもしれない」
帰り道、ダイバーたちはそれぞれが勝利に忽然としながら考えた。
ダイバー仲間のネイグルやユーガの調査の結果、それは<U-550>か<U-521>にちがいないと思われた。
しかし、連合軍の沈没位置をしるした資料を見ても、200キロ以上離れていた。
数日後、チャタトンはシカゴに旅に出た。
産業科学博物館に展示され、一般公開されている<U-505>のなかを歩いて、どんな感じか知りたいと思ったのだ。


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