シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

近代日本史のなかの昭和維新運動

johnfante2011-12-02

下記の書籍を編集した、週刊金曜日の白井氏が「近代日本史のなかの昭和維新運動」を作成しました。
イベント用のものでしたが、秀逸なので、ここに許可を得て掲載いたします。
PDF版は下記で手に入ります。
http://johnfante.up.seesaa.net/image/E8BF91E4BBA3E697A5E69CACE795A5E5B9B4E5BB9F.pdf



佐高信鈴木邦男(共著)『左翼・右翼がわかる!』(金曜日刊)
@「山羊に、聞く?」読書会用 2011.11.28(月) 白井基夫


明   治
1868年(明治元年) 明治維新
1869年(明治2年) 江戸城天皇が、東京に首都機能が、五稜郭の戦い、版籍奉還
1871年明治4年) 廃藩置県岩倉使節団派遣、出口王仁三郎(〜1948年)生まれる
1872年(明治5年) 学制、太陽暦採用
1873年明治6年) 徴兵令、地租改正、征韓論問題(明治六年政変)
1874年(明治7年) 民選議院設立建白書佐賀の乱(佐賀戦争)、台湾出兵
1875年(明治8年) 樺太千島交換条約、江華島事件日清修好条規調印、柳田國男(〜1962年)生まれる
1876年(明治9年)  明治政府に士族が反乱(神風連の乱萩の乱秋月の乱)、福沢諭吉『学問のすゝめ』完結
1877年(明治10年) 西南戦争西郷隆盛自刃)
1878年明治11年) 竹橋事件(竹橋騒動)
1879年(明治12年) 永井荷風(〜1959年)生まれる
1881年明治14年) 玄洋社設立(平岡浩太郎、杉山茂丸頭山満など)
1884年明治17年) 秩父事件植木枝盛東洋大日本国国憲按」起草、東条英機(〜1948年)・山本五十六(〜1943年)生まれる
1885年(明治18年) 大阪事件、内閣制度発足
1886年明治19年) 大川周明(〜1957年)・井上日召(〜1967年)生まれる
1887年(明治20年) 保安条例、中江兆民『三酔人経綸問答』発表
1889年(明治22年) 大日本帝国憲法公布、東京市誕生、新橋−神戸間の東海道線が開通、来島恒喜が外相・大隈重信に爆弾を投げつける、西野文太郎が文相・森有礼を刺殺、石原莞爾(〜1949年)生まれる、日刊紙『日本』創刊(陸羯南が社主・主筆
1890年(明治23年) 教育勅語教育ニ関スル勅語)公布、朝日平吾(〜1921年)生まれる
1891年(明治24年) 大津事件足尾銅山鉱毒事件、甘粕正彦(〜1945年)・近衛文麿(〜1945年)生まれる
1892年(明治25年) 「大本」出口なおのお筆書き、芥川龍之介(〜1927年)生まれる
1894年(明治27年) 日清戦争志賀重昂『日本風景論』出版
1895年(明治28年) 下関条約、治安警察法施行、八幡製鉄所
1896年(明治29年) 宮沢賢治(〜1933年)・谷崎潤一郎(〜1965年)生まれる
1898年(明治31年) 溝口健二(〜1956年)・内田吐夢(〜1970年)・安岡正篤(〜1983年)生まれる
1899年(明治32年) 赤尾敏(〜1990年)・川端康成(〜1972年)・笹川良一(〜1995年)生まれる
1900年(明治33年) 稲垣足穂(〜1977年)生まれる
1901年(明治34年) 幸徳秋水『廿世紀之怪物帝国主義』発表、「黒龍会」設立(顧問:頭山満内田良平)、昭和天皇裕仁、〜1989年)生まれる
1902年(明治35年) 日英同盟大杉栄『改造』などに「自叙伝」を連載開始、中野重治(〜1979年)生まれる、正岡子規死去(1867年〜)
1903年明治36年) 幸徳・堺『平民新聞』創刊、小林多喜二(〜1933年)・小津安二郎(〜1963年)生まれる
1904年(明治37年) 日露戦争丘浅次郎『進化論講話』発表
1905年(明治38年) ポーツマス条約、日比谷焼打事件、日韓協約、ハーグ密使事件、磯部浅一(〜1937年)生まれる、『新紀元』創刊(安部磯雄片山潜石川三四郎、木下尚江)、夏目漱石我輩は猫である」発表
1906年明治39年) 北一輝『國體論及び純正社會主義』(処女作)発表、南満洲鉄道株式会社が設立
1908年(明治41年) 赤旗事件、佐郷屋留雄(〜1972年)・四元義隆(〜2004年)生まれる
1909年(明治42年) 伊藤博文(韓国統監府統監)が暗殺される、マキノ光雄(〜1957年)生まれる、吉野作造「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」発表
1910年(明治43年) 大逆事件(幸徳事件ほか)、韓国併合、『白樺』創刊、保田與重郎(〜1981年)・影山正治(〜1979年)・黒澤明(〜1998年)生まれる
1911年(明治44年) 辛亥革命がはじまる(1913年、孫文が日本に亡命)、岡本太郎(〜1996年)・児玉誉士夫(〜1984年)生まれる、西田幾多郎善の研究』出版
1912年(明治45年=大正元年) 長塚節『土』出版


大   正
1913年(大正2年) 大正政変(第三次桂太郎内閣解散)、田中正造死去
1914年(大正3年) シーメンス事件、第一次世界大戦参戦、田中智学国柱会設立
1915年(大正4年) 対華21カ条の要求
1916年(大正5年) 夏目漱石(1867年〜)死去
1918年(大正7年) 米騒動、シベリア出兵、原敬1921年に暗殺される)が日本で初めての本格的政党内閣つくる、田中角栄生まれる(〜93年)、武者小路実篤新しき村の生活』発表、老壮会設立(堺利彦、高畠素之、下中弥三郎北一輝大川周明権藤成卿満川亀太郎、嶋野三郎、中野正剛、森伝など)
1919年(大正8年) 関税自主権回復、護憲運動(憲政擁護運動。〜24年) 、北一輝『国家改造案原理大綱』(1923年に『日本改造法案大綱』と改題)、猶存社設立(満川亀太郎大川周明北一輝)、和辻哲郎『古寺巡礼』出版
1920年大正9年) 尼港(ニコライエフスク)事件、権藤成卿『皇民自治本義』出版、山口淑子大鷹淑子李香蘭)生まれる、日本社会主義同盟結成、高畠素之による「資本論」の全訳出版がはじまる
1921年(大正10年) 朝日平吾安田財閥創始者安田善次郎を刺殺
1922年(大正11年) ワシントン海軍軍縮条約大杉栄訳によって『ファーブル昆虫記』が初めて日本語に翻訳された、森鴎外1862年〜)死去、日本共産党創立大会
1923年(大正12年) 関東大震災虎の門事件
1924年大正13年) 力道山(〜1963年)生まれる
1925年(大正14年) 治安維持法普通選挙法施行、三島由紀夫(〜1970年)生まれる、蓑田胸喜・三井甲之らが原理日本社設立
1926年(大正15年=昭和元年)


昭   和
1927年(昭和2年) 昭和金融恐慌、東方会議、山東出兵
1928年(昭和3年) 三・一五事件、済南事件、張作霖爆殺事件
1929年(昭和4年) 世界恐慌
1930年(昭和5年) 谷口雅春生長の家を創設、竹中労(〜1991年)生まれる
1931年(昭和6年) 中村大尉事件、柳条湖事件満州事変、三月事件【陸軍大臣宇垣一成(大将)による政権確立を目指したクーデター。陸軍次官・杉山元(中将)、軍務局長・小磯国昭(少将)、参謀次長・二宮治重(中将)、第二部長・建川美次(少将)を中心に、橋本欣五郎率いる桜会の急進派、大川周明・清水行之助の民間右翼のほか、無産政党も加わり、一般大衆を巻き込まずに実行する計画だった。昭和維新運動の先駆けとなった大きな事件】、十月事件、高橋和巳(〜1971年)生まれる
1932年(昭和7年) 血盟団事件【2月9日:小沼正が、井上準之助(前蔵相)暗殺。3月5日:菱沼五郎が、三井合名理事長・団琢磨を暗殺】、五・一五事件【海軍の青年将校を中心にしたクーデター。民間からは、大川周明橘孝三郎農本主義者、愛郷塾設立者)】、第一次上海事変
1933年(昭和8年) 国際連盟脱退、滝川事件、神兵隊事件【下記、鈴木さんの著書からの引用参照】、平成天皇明仁)生まれる、昭和研究会設立(後藤隆之助が主宰、〜1940年)
1934年(昭和9年) 帝人事件、陸軍士官学校事件【陸軍士官学校で蹶起計画があるという噂によって、皇道派磯部浅一や村中孝次らが逮捕。二・二六事件事件の間接的な引き金に】
1935年(昭和10年) 相沢事件(永田鉄山斬殺事件)【陸軍軍務局長・永田鉄山(少将)が皇道派の相沢三郎中佐によって斬り殺される。2.26事件の引き金に】、天皇機関説問題(美濃部達吉が国会で批判される)、野村秋介生まれる(〜1993年)
1936年(昭和11年) 二・二六事件国粋主義の軍人たちによるクーデター。殺害された人:松尾伝蔵陸軍大佐(岡田啓介総理大臣の秘書)、斎藤実内大臣渡辺錠太郎教育総監高橋是清大蔵大臣】、綏遠事件、西安事件
1937年(昭和12年) 盧溝橋事件、日中戦争が開始
1938年(昭和13年) 国家総動員法・電力管理法公布
1939年(昭和14年) 第二次世界大戦始まる、ノモンハン事件、甘粕が満洲映画協会理事長に就任
1940年(昭和15年) 紀元2600年斎藤隆夫の反軍演説(「支那事変処理中心とした質問演説」)、日独伊三国軍事同盟、石原莞爾「世界最終戦論」講演(1942年に出版)、西園寺公望(1849年〜)死去、大政翼賛会結成
1941年(昭和16年) ゾルゲ事件、日ソ中立条約 、太平洋戦争開始、下村湖人次郎物語』発表(完結は1945年)
1942年(昭和17年) ミッドウェー海戦ガダルカナル島の戦い大川周明『米英東亜侵略史』出版
1943年(昭和18年) 学徒出陣、アッツ島の戦い、学徒出陣、鈴木邦男山口二矢(〜1960年)生まれる、中野正剛「戦時宰相論」発表
1944年(昭和19年) インパール作戦マリアナ沖海戦、サイパン陥落、グアム陥落、神風特攻隊が出撃
1945年(昭和20年) 広島・長崎への原爆投下、ソ連対日参戦、ポツダム宣言受諾、玉音放送落合恵子佐高信宮城谷昌光わたせせいぞう宮本信子阿木燿子車谷長吉長塚京三青江三奈池澤夏樹黒鉄ヒロシ・森田必勝(〜1970年)・重信房子水前寺清子・櫻井よし子・小栗康平柳町光男生まれる

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[神兵隊事件とは?] 鈴木邦男=著『右翼は言論の敵か』ちくま新書 より
 戦前の良質な右翼思想家のほとんどがかかわったのが「神兵隊事件」だ。白井、中村をはじめ、これから紹介する片岡駿、毛呂清輝、影山正治も参加した未発のクーデター事件だ。神兵隊事件出身者は、戦後の右翼運動もリードした。そして、僕らはこの先生方の指導を受け、大きな影響も受けた。だから、 「神兵隊が新右翼を作った」といえるかもしれない。
 右翼による変革運動は.「維新運動」と呼ばれる。明治維新は達成されたが、まだ不十分だ。維新運動の流れは続いた。特に昭和初期は、不況、貧困、飢餓への怒りが政府・財界へ向かい、昭和五年(一九三〇年)の佐郷屋留雄(後に嘉昭)による浜口雄幸首相狙撃事件から昭和一一年(一九三六年)の二・二六事件までのテロやクーデターなどの直接行動を「昭和維新運動」と呼んでいる。
 その一つ、神兵隊事件は血盟団事件五・一五事件の翌年、昭和八年(一九三三年)に起こった。いや、起こるはずだつた。この三年後にニ・二六事件が起きているが・集まった人数やその質においては維新運動でも飛びぬけた意味があった。右翼の直接行動には、血盟団のような民間人が政財官の要人を襲うテロと、の二・二六事件のように軍を動かすクーデターがある。いずれにしても、現状の悪を とりのぞく「破壊」が先決で、そのあとに望ましい状況が生まれれぱいいという”他力主義”だ。自分たちが破壊のあとの「建設」の主役になろうとは思わない。主役の座を狙うのでは自分たちの権力奪取と同じだ。自分たちは破壊のための"捨石”で十分だ。そう考える。
 ところが、神兵隊事件はちがう。まず、民間人によるクーデター計画だ。ごく少数の軍人もいたが、ほとんどが民間の右翼だ。また、決起後の「建設プラン」も 考えている。破壊のあとは、東久適宮殿下に出馬を願い、一挙に維新内閣をつくりあげる。そして、自由主義的な明治憲法を廃し、新たな憲法をつくりあげるというのだ。
 「破壊」も徹底している。山口三郎海軍中佐が空から首相官邸、警視庁を爆撃し、これを合図に地上部隊は首相官邸に突入、閣議を開いている全閣僚を暗殺する。別の一隊は牧野邸、政友会、民政党の両総裁を襲う。警視庁を占拠し、ここに神兵隊の司令部をおく。さらに獄中の井上日召血盟団の同志を奪還し、市街 戦に備え、銃砲火薬店から武器を奪う。ともかく、大規模なクーデター計画だった。しかし、決行寸前に発党し、二〇〇人余りが検挙され、五四人が起訴される。判決まで一一六回の公判が開かれるが、この裁判闘争もすごい。

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