シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

『明治大正史 世相篇』柳田國男

johnfante2015-05-21

新幹線で東京から大阪や京都への旅行していると、窓外の景色に感心してしまう。さすが長良川の流れは豊かだなとか。しかし新幹線では確かにその場所を通過して、一瞬だけその風景を見ているのだが、通り過ぎているだけで、それそれの場所を訪れたということにはならない。


1930年(昭和5年)に書かれた柳田國男の『明治大正史 世相篇』という本の歴史記述のあり方は、歴史上のできごとに対して、どうも新幹線で個別の土地を通り過ぎるときのような距離をもって眺めているといった観がある。これは歴史記述のあり方としては、間違っている方法ではない。それに加えて、もともと柳田國男の思考法は演繹的なところがあるからだ。詩人でもあった柳田國男の直観は、個別具体的なものをすっ飛ばして、現象の向こう側にある一般性や普遍性をつかみ取ってくるときに、とても魅力的に見える。

その一方で、フォークロア民俗学)というものは、歴史の教科書に名前が載らないような普通の人たちについて研究することである。ひとりの生涯において、家族や親類縁者、友人知人以外には特に取りあげられることもない庶民たち。しかし、その顔のない常民たちが何代も続いて、何百年にもわたって祭りや行事、信仰や慣習、文字に残らなかった伝承や歌などの文学を積み重ねるとき、そこには厚みのある文化というものが積層される。それを各地域ごとの特異性を失わないような形で記述し、保存するのが第一義だと思われる。つまり、フォークロアというものは、元来が帰納法の発想に基づいたものに他ならない。柳田國男民俗学が文学的で読みやすいのは、帰納的であるはずのフォークロアを、彼らならではの演繹的な思考によって書きつづることの爽快さであるのだろう。



柳田国男の『明治大正史』は、ふつうでは歴史書に記述されることのない、近代日本の庶民たちの暮らしをフォークロア的視点によって記述してみようという試みである。だがしかし、柳田本人も「自序」に書いているように、その方法がうまくいってないときもしばしばある。ここでは柳田の演繹的な思考がはまっているケースを2つほど引いてみたい。
第13章「伴を慕う心」の「二 講から無尽業へ」はおもしろい。先の選挙で「結いの党」という何をしたいのか良くわからない政党があったが、現代でも沖縄や八丈島で見られる「もやい」や「ゆい」、東北地方の「けやく」など、庶民の間には長らく相互扶助の団結というものがあった。村で家を建てる人がいる、結婚する人がいる、葬儀があるというときに、互いに金銭面などで助け合うことである。柳田はこの源泉を江戸時代の信仰的な「講」や「無尽」に見ている。この無尽では、村での制裁など、氏名を書きづらい決めごとなど、さまざまな出来事を入札によって決めていた。選挙というシステムは新しいもののように思われているが、実は「投票」という行動は古くからあったというのだ。


第14章「群を抜く力」のなかの「三 親分割拠」の文章もおもしろい。親分はいかにも封建時代の遺制であるが、近代に入っても社会のなかで親のように面倒を見てくれる「親分」の力は、その必要性からちっとも衰えていない。縁談、借金、ケンカの仲裁など、親分が腕をふるうばきケースはますます増えているからだ。恩義を受けた人たちには、目に見えないかたちで「借り」が残る。
 政治学者の丸山真男は『日本ファシズムの思想と運動』のなかで、このような親分たちのことを「小天皇」と呼び、権力のまわりに群がって思考不能に陥る人たちを事大主義といって批判した。なぜなら、そのような親分たちが戦時中の天皇ファシズム化、つまりは軍国主義の日本社会や軍隊では機能したからだ。大江健三郎の小説『万延元年のフットボール』に登場する「スーパーマーケットの天皇」は、その現代版だといっていい。昨今の国政選挙のように、毎回投票率が戦後最低レベルを更新するようになると、自民党とそれを支える各地方の親分たちが、彼のまわりにいる「借り」を抱えた人たちを動員し、その本来は小さくなっている力が強力に機能してしまうから不思議である。人情という地盤は、いまだ封建制の残るこの島国では通用しているようである。