シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

事実性と妥当性

johnfante2007-05-15

事実性と妥当性(上)― 法と民主的法治国家の討議理論にかんする研究


『事実性と妥当性』ユルゲン・ハーバーマス


ルーマンとの論争を越え、社会システム論を批判し、独自のコミュニケーション理論をあみだしたハーバーマスはどこへむかうのか。
85年の『近代の哲学的ディスクルス』ではバタイユフーコーデリダらを俎上にのせ、理性や主体を解体しようとするポストモダニズムの思想の試みを大したものではないと切って捨てた。
哲学はいつまでも自己意識や内省のなかでまもられていてはならず、自分の外へでて、現実の生活世界においてコミュニケーションにさらされなくてはならないというのだ。
その言葉をまもるように5年ものあいだ共同研究者たちと討議をかさね、92年にまとめられた大著が本作である。


ハーバーマス現代思想がさけてきた法と倫理の領域を取りあげ、コミュニケーション理論をその分野に展開していこうと課題をさだめる。念頭にあるのはヘーゲル法哲学とカントの倫理学であろう。
まず「資本主義を社会国家とエコロジーによってなんとか飼い慣らす」という西欧諸国がかかえる矛盾を指摘する。
近代の法治国家では社会システムが複雑になりすぎ「徹底した民主主義」が実現されづらくなっているため、社会が健全な状態を保つには、法と民主主義の意義について新しい解釈が必要になってくるのだ。


ハーバーマスによれば、国家の権力によって実際に通用している法の実効力「事実性」と、市民の自由な討論によって法律が吟味・訂正される「妥当性」という、ふたつの要請が近代国家では緊張関係にある。
上巻では法理論、国民主権法治国家、司法と立法の機能が、コミュニケーション的行為の理論によって新たな光をあてられる。
そこから導きだされるのは、社会の正当さを得るためには法律的な押しつけだけではなく、生活世界からも合意をくみあげていく手続きが必要だという考えだ。
では具体的にどのような手続きを取り、民主主義の理念を徹底するかという議論は下巻へと持ちこされる。


初出 : Amazon.co.jp