シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

25年間失踪した部族 ①

johnfante2007-06-14



ライ・カモンさんは短くて太い鎌で、自分の土地をきれいにする。
そうして、かつて自分たちの身を、ベトナム兵の目から守ってくれたジャングルをなぎ倒していく。
2004年12月のこと。
カモンと33人の人間からなる部族は、1979年から25年間隠れていたカンボジアの北東部にあるジャングルから出てきた。
ベトナム兵が立ち去ってから、15年もの間知らずにいたのだ。


カモンさんとその部族は訳のわからない世界へ戻ってきて驚愕した。
携帯電話、ミネラル・ウォーター、車。自分の土地に戻ってきて、もう逃げ隠れする必要がなくなったのだが、今度は時代を追いかけなくてはならない。
それは考えていたより、ずっと難しい。

カモンさんと33人の部族民


「村での生活の方がいいに決まってます。子供を育てるための食料がありますから。ジャングルでは子供たちはいつも腹を空かせていました」
カモンさんは42歳で、7人の子供の父親である。
彼の妻はバンヤオ(Banyao)さん。彼女はジャングルからの帰還に後悔はないと言う。それは食料の調達の問題がずいぶんと楽になったから。彼女はいまだにクメール・ルージュ風のヘアスタイルをしている。
「ジャングルで野菜を育てるのは本当に大変でした。村では近所の人たちもいます。ジャングルのなかでは、四方に見えるのはジャングルだけです。小さな畑を作りましたが食料をつくるのは難しく、料理の材料を見つけるのも難しかったんです。いまは生活がずっと楽になりました」


ジャングルに逃げた理由


カモン夫妻は、ジャングルでの生活は騙されたようなものだと感じている。
1979年、15歳でラタナキリ県(Ratanakiri)の村をあとにしたとき、クメール・ルージュ政権は崩壊寸前。侵入してくるベトナム軍に見つかったら、皆殺しになると聞かされた。
それで熱帯雨林の森のなかに、100人の村人たちと共に逃げ込んだ。
それから10年間、ジャングルで土地を開墾して住んでいた。
89年のある日、ベトナム兵に隠れ場所を発見され、クメール・ルージュ軍の残存兵と思われて、ぐるりと開墾地の周囲をかこまれた。


一緒に逃げた仲間たちはバラバラになった。カモンさんは12人からなるグループに加わった。4組の夫妻とその子供たち。ラオスベトナムにはさまれた「竜の尾」と呼ばれる、細長いいカンボジア領内に移動した。そのとき持っていた食料は、米の缶詰とハーブと植物の種だけだった。
自給自足型の農業技術を駆使して、彼らはジャングルの奥で新しい生活をつくっていった。
幸運にも1本の鉈、4つの鍋、編んだバスケットを持っていた。
15年間で、この部族は12人から34人に増えた。子供たちが成長して結婚し、子供を産んだからである。その間、死んだ老人はたった1人だけだった。


ジャングルの奥へ


皮肉なことに、89年にカモンさんたちが、もっとジャングルの奥へ逃げる決断をして数ヶ月以内に、当のベトナム軍はカンボジアから撤退した。
しかし、カモンさんたちがそれを知るまでには、さらに15年の月日が必要だった。
彼らは一年を、雨季の始まりで数えることにした。居住地は4度にわたって移した。移動するたびに、「竜の尾」の呼称で知られる、ラオスベトナムの国境沿いのジャングルの奥地へと進んでいった。


ジャングルで不法な伐採を繰り返す人たちと、何年にもわたって接触してきたので、ベトナムの統治が続いていることを怪しまなかった。
ラタナキリ県の村でも、内戦中に多くの人が行方不明になったり死んだりしたので、34人が消えても誰も怪しまなかった。
彼らは釣りも狩りもした。木とつるで弓矢をつくった。獲物は小さいものばかりだったが、3匹の虎を殺したこともあるという。