シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

ミリキタニの猫 ③

johnfante2007-10-20

ミリキタニの猫 [DVD]

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右写真は、若き日のジミー・ミリキタニ氏。

怒りから祈りへ


リンダはジミーのためにリサーチを重ねて、やがてジミーの市民権が47年前に回復していたことが明らかになる。
市民権は1959年に回復され、その通知は発送されていたが、引越を頻繁に繰り返していたために、政府からの手紙は彼の許に届かなかったのだ。
同時にリンダはジミーの肉親を探しはじめた。
リンダは新聞記事に、ジャニス・ミリキタニという女性について書かれたものを見つけた。


サンフランシスコに住む詩人で、数十冊の書籍を出版し、SFのマイノリティをケアするグライド基金のディレクターでもあった。
ジミーは「ミリキタニという名字はアメリカでは、ワシの一族しかいない」と言って昂奮する。
さっそくリンダが連絡をとると、彼女の詩集と手紙が帰って来た。
はたしてジャニスはジミーの姉のカズコの姪で、カズコは84歳だが、シアトルで元気に暮らしているとのことだった。
60年ぶりに電話で言葉を交わすジミーとカズコ。
二人の会話は言葉が少ないながらも、姉弟の愛情にあふれるものだった。



監督の舞台挨拶


新生活


ジミーは生活を立て直すことを決意した。
リンダは彼の社会保障番号を探し当て、ケア付きの老人ホームへの入居が実現することになった。
アニマルシェルターから貰ってきた、メス猫のミコと一緒に暮らすことになった。
その場所でジミーは老人たちに絵を教えることで、長い間、固く閉ざされていたジミーの心は、少しずつ解かれていった。
深い怒りはやがて、ひとつの祈りへと変わっていく。


それは、人を信じること。人種や境遇を越えて、誰かとつながることがもたらした、小さな奇跡だった。
そこで出来た友人やリンダの友人たちに絵を売ったお金で、ジミーは西海岸への旅へ出ることを決意する。
そして、55年ぶりに、幾人もの命が消えたツールレイク強制収容所の跡地を訪れたジミー。
よみがえる記憶を辿りながら、彼はそっとつぶやく。
「もう怒ってはいない。通り過ぎるだけだ。思い出はワシに優しかった…」


エピローグ


あとはシアトルまで北上するだけだった。
ジミーが着いた家の前で、階段から丸顔の老女が降りてきた。
あまりにもジミーと瓜二つの顔は、60年前に収容所へ入れられたときに生き別れになった、姉のカズコに違いなかった。
言葉少なく見詰め合う二人。
60年ぶりの再会を、ジミーは画家としての絵筆一本で、自らの手で成し遂げた瞬間だった。


2006年に完成した映画「ミリキタニの猫」を見たジミーは、一言「悪くない」と言ったそうである。
各地の映画祭でも評判になり、2007年9月には日本での公開が決まった。
そして、2007年の8月。
この映画のプロモーションにより、監督のリンダと一緒に、ジミーは実に70年ぶりの帰郷を果たした。
彼が行きたかったのは、もちろん、幼少期を過ごした広島であった。



映画「ミリキタニの猫」 2006年 アメリカ 
主演 ジミー・ツトム・ミリキタニ 監督 リンダ・ハッテンドーフ