ガルシア・マルケスと独裁者 ②
戒厳令下チリ潜入記―ある映画監督の冒険 (岩波新書 黄版 359)
- 作者: G.ガルシア・マルケス,後藤政子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1986/12/19
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ミゲル・リティンとピノチェト政権
七三年九月一一日、チリの首都サンチアゴでアジェンデの社会主義政権が軍事クーデターによって倒され、ピノチェト将軍の軍事政権が成立する。
クーデターの日の朝七時にミゲル・リティンは、当時働いていたチリ・フィルムズの建物の前で、ひとりの陸軍軍曹によって頭上めがけて機関銃を発射された。命からがら逃亡し亡命を余儀なくされた映画作家は、政権交代がないかぎり二度と祖国チリの地を踏めなくなった。
そのリティン監督が一二年後に、変装と偽名によって入国し、チリの実態をフィルムに収めたのがドキュメンタリー映画『戒厳令下チリ潜入記』だ。独裁者ピノチェトにひと泡吹かせるため、銃器の代わりにキャメラを手に乗り込んでいくリティンはひとりの勇ましいテロリストである。
しかしまた『チリ潜入記』の実に三分の一が「アジェンデ賛美」「ピノチェト打倒」のプロパガンダに割かれていることに、私たちは不満を覚えずにはいられない。軍事政権の族長たるピノチェトも、祖国に民主主義を復活させるために戦うリティンも、根は同じ恐怖政治(テロリズム)の論理にとらえられてしまっている。
チリの独裁者、ピノチェトの歴史が分かるビデオ
私たちのようにテロリズムの生態学(エコロジー)を究明せんとする者は、そのような教条主義的な政治イデオロギーの誘惑から身をかわし続けなくてはならない。
テロ行動という人間の生産様式を、政治の面に押しこめてしまわずに、あらゆる面をひっくるめた総合的視野のもとに像を結ばせるのだ。そうしないと、いつまでも宗教対立や政治イデオロギーにもとづく報復の手段として、テロリズムが機能し続けてしまう。
そのようなテロリズムの機能障害を批判した書が、リティン監督へのインタビューを通じてガルシア=マルケスが編みあげたルポルタージュ『戒厳令下チリ潜入記』である。
それは大文字のテロリズムに絡め取られることのないテロ行動の実相を示しつつ、「原作と映画版」という文学と映画の硬直した関係に、新たなる交通のメソッドを導入する。
マルケスとピノチェト政権
ガルシア=マルケス版『チリ潜入記』によれば、サンチアゴ潜入の夜、偽の妻として行動を共にしていた同志エレーナが、外出禁止時刻ギリギリまで不用意に歩きまわるリティンに対し、ホテルの部屋で本物の妻さながらにヒステリーを起こす。
普通の夫のように無言で部屋をでるリティンは、別の撮影チームにいるイタリア人の「若々しくて魅力的な」娘グラツィアに会いにいく。だがグラツィアは長々しい合言葉を終えるまで、頑としてドアを開けてくれない。ドアの前でリティンは実の妻エリーのことを思いだしながら、「ああ、いやだ」「女は皆同じだ」とひとりこぼすのだ。
ガルシア=マルケスはこのような挿話を、他の部分の緊張感を高めるための効果的な息抜きとして構成しているのではない。それはレトリックではなくて本質なのだ。
生の本質からして、テロリストとて生活と無縁でいられるはずがない。そう考えたときにはじめて、ガルシア=マルケスがテロ行動を政治的な相や生活者的な相やエロティシズムの相に分けず、徹底的に同じ人間生態の現れとして把握していることが見えてくる。
- 出版社/メーカー: 大映
- 発売日: 1989/02/21
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地下鉄で目があった私服警官の追跡を、タクシーを何度も乗り継いでリティンはやっと逃れる。
車を降り、心を落ち着かせようと手近にあった映画館に入る。リティンが座った途端、映画が終わり電気が半分つき、司会者がでてきてストリップ・ショーがはじまる。
いつ出ようかとタイミングをみていると、リティンにスポットライトが当り、混血の太ったモレーナが近づいてきて「私のお尻はいかが?」とマイクを向ける。這々の体で抜けでたリティンは「今夜のことは決して偶然ではない」、テロリズムは本質的に滑稽味を、さらには生活臭をも内包しているのではないか」と気づき、それがチリ脱出を真剣に考えるきっかけとなる。
ここではテロ行動がきわめて生臭く再現されていて、作者の意図はテロリズムの解体へと向かっている。たしかに、政治的にガルシア=マルケスがカストロ族長の腰巾着であったという事実は否みがたい。
だが一方、彼が恐怖政治(テロリズム)の論理を内側から突き崩さんと目論んだ、テロティシズムの尖鋭に立つ物語作者であったことも忘れてはならないだろう。
初出:「発言者」