シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

永井荷風 ②

johnfante2008-02-21

ふらんす物語 (岩波文庫)

ふらんす物語 (岩波文庫)


ボヘミアン生活


荷風がパリに滞在できたのはこの二日間と、その後、八ヶ月の間リヨンの銀行で働いて、フランス滞在の最後にもう一度だけ、二ヶ月間をパリで過ごした。
このときはボヘミアン生活を謳歌したようだ。
銀行員という職につきながら、ブルジョワ社会の一員になることを精神的に拒否してきた荷風にとって、パリでのボヘミアン的な生活は芸術家としての自己演出に他ならなかったと指摘する人もいる(今橋映子『異都憧憬 日本人のパリ』)。


「すべては皆生きた詩である。極みに達した幾世紀の文明に、人も自然も悩みつかれたこの巴里ならでは見られない、生きた悲しい詩ではないか。ボードレールも、自分と同じように、モーパッサンもまた自分と同じように、この午過ぎの木陰を見て、尽きぬ思いに耽ったのかと思えば、自分はよし故国の文壇に名を知られずとも、藝術家としての幸福、光栄は、最早やこれに過ぎたものはあるまい!」(「巴里のわかれ」)

巴里のパサージュ


「巴里のわかれ」でもわかるように、『ふらんす物語』の特徴は、現実のパリの風景にボードレールモーパッサンやゾラの作品に表れた風景を重ねていることだ。
荷風はパリのパサージュと呼ばれる街路や通路を歩きながら、街の風景のなかに過去の記憶の痕跡を見つけている。
ベンヤミンは「パサージュ論」で、このような人のことを「パリの遊歩者」と呼んでいる。
パリという場所がそうさせるので、パリに滞在する異邦人はとりつかれたように延々と歩いてしまうのである。


「自分は寝台の上から仰向きに、天井を眺めて、自分は何故一生涯巴里にいられないのであろう、何故フランス人に生れなかったのであろう。と、自分の運命を憤るよりは果敢く思うのであった。自分には巴里に死んだハイネやツルゲネフやショーパンなどの身の上が不幸であったとは、どうしても思えない。とにかく、あの人たちは止まろうした藝術の首都に永世止まり得た藝術家ではないか。」(「巴里のわかれ」)


大げさに思えるかもしれないが、荷風にはアメリカの四年間があり、パリでボヘミアンとして、異邦からきた遊歩者として歩いた二ヶ月間があったから、このように言うのも当然かもしれない。
ちなみに「アデュー」という題は、モーパッサンの言葉から来ているようだ。 
                              

「ADIEU(わかれ)は、人間のまぬがれ難い運命だと、そういいました。」(「巴里のわかれ」)