シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

『ねむれ巴里』 金子光晴 ①

johnfante2010-03-17

『ねむれ巴里』再読


金子光晴の自伝小説『ねむれ巴里』では、マレー半島で金の工面をして、船でフランスへ向かいパリに二年間滞在する1929年以降のことが扱われている。
金子光晴は、散文において平仮名を多用する文体を使っている。普通ならば漢字を使うところを「ひらいて」いるから、反対に少し読みづらい。
とはいえ、平仮名によって女性的なこまやかな情感も出ているし、すさまじい生活苦をほのぼのとした郷愁や、そこはかとないユーモアをかもしだすのにも一役買っているだろう。


若い頃に『ねむれ巴里』を読んだときは、パリに着いて妻の森美千代の部屋へ入るときに、他の男がいるのではないかと「入っても、大丈夫なの?」と訊く金子光晴のコキュ(寝取られ亭主)ぶりをおもしろく読んだ。
しかし、今回ぐっときたのは、むしろ美千代が昼食にパン、珈琲、トマト料理を作ってくれて、「簡素な惣菜が、船からあがった僕には、ひどくうまかった」と書いているところだ。
海外生活で妻のような存在を持つことの、しみじみとした深い喜びがここに出ている。


ローベル・デスノ


金子光晴は、衒いのある人、含羞の人なのだろうか。
モンパルナスの墓地でモーパッサンボードレールの墓を訪ね歩くような人なのに、松尾邦之助と先輩詩人の川路柳虹が詩集のフランス語版を出していると聞くと、自分は「フランス文学などの興味がなかった」と書く。
これは金子の衒いなのか、それとも懸命に努力する態度に距離を置いているのか。
あるいは、本当にフランス文学に興味がなく、生活に必死だったといいたいのか。



今回気になったのは、銀行員のロベール・デスノスが藤田嗣司の妻ユキと仲よくなり、ユキと一緒に食っては寝て暮らしていたという件でる。。
デスノスはいわずと知れたシュールレアリスム詩人だが、29年にブルトンと決別した後、藤田嗣治の妻だったユキと結婚をしている。
最後はレジスタンスに参加したせいで、ゲシュタポに捕まり、収容所のなかで死んでいる。
ふとデスノスの「蟻」という詩を思い出し、金子光晴の詩とどこか似ているのではないかと思った。


蟻で 18メートルあって
頭に帽子をかぶってるの、
そんなのいない、そんなのいない。
蟻で 荷ぐるま引っぱって、
ペンギンとあひるをいっぱい積んでるの、
そんなのいない、そんなのいない。
蟻で フランス語を喋って
ラテン語やジャワ語も喋るの、
そんなのいない、そんなのいない。
へえ!どうしていないの?
安藤元雄訳 岩波文庫「フランス名詩選」)



『ねむれ巴里』の「ねむれ」という語には、早くに亡くなった人々への鎮魂の祈りが込められているのかもしれない。