シネマの舞台裏2

Yu kaneko(批評家・映像作家)のブログ

異邦のふるさと「アイルランド」 ①

johnfante2008-03-08

異邦のふるさと「アイルランド」―国境を越えて

異邦のふるさと「アイルランド」―国境を越えて


右写真は北アイルランドのミューラル(壁絵)

遊び言葉


現代アイルランドを代表する劇作家、ブライアン・フリールの「廃墟のなかで」という短編小説が本書で紹介されている。ジョーという名の二児の父親が、ゲール語の響きをとどめる故郷の土地を家族で訪ねる物語である。
車内で子供たちは父母に行き先を尋ねるが、父親からコウラディーナと言われても、英語の普及により耳慣れないらしく「変な名前」と呟くだけである。目的地に到着しても家の廃墟しかなく、その土地は子供たちの興味を引かない。
ところが、息子が行き先不明になるという小事件が起きる。父親が方々を探したところ、息子はウサギの穴の前で土に小枝を差しこむ遊びに夢中になっていた。何をしているのかという父親の問いに、息子は「塔をドングしているんだよ」と答える。

土着言語の彼方へ


著者によれば「ドング」(dong)という言葉は英語でもゲール語でもなく、息子のなかで自然発生的に生まれた遊び言葉である。
実はコウラディーナという地名も小説内で設定された架空のものであり、ドングと同様に共有的な意味から浮遊した音声にすぎない。遊び言葉は人間の成長にともなう言語習得の過程で失われていくものだが、同様にゲール語の地名も英語化によって消えていく運命にある。
ところで、物語にはまだ続きがある。父親はドングという語の響きによって幼年期に姉と言葉遊びをしていたことを思い出す。その時にも、シガログとかスクーカルックなる土着語的な造語を編み出しては楽しんだ。
父親は自分の過去における無垢が息子にそのまま引き継がれていることを知り、その土地に見出せなかった故郷というものの持続性をようやく造語表現の中に確認するのである。


植民地支配への抵抗


英国による北アイルランドの植民地支配は一八世紀初頭に始まったという。
一九世紀には地方税の不均衡を是正するために陸地測量が行われ、ゲール語地名の英語化が近代化の旗のもとに推し進められた。アイルランドの人々は英国人の入植によって土地を、植民地語としての英語の使用によって土着語を、英語化によって地名を強制的に奪われてきた。
しかし、植民地経験は土着語を完全に消滅させることはできなかった、と著者は言う。父親のシガログや息子のドングといった土着語の響きを宿した遊び言葉のように、ゲール語は人々の発声器官に染みついた記憶として身体感覚に残っている。
英国の植民地支配を内側から支えてきた制度的な言語の力でも及ばない領域が確かに存在する。
遊び言葉や造語表現は土着語の語感を軽やかになぞりながら、制度を嘲弄するようにして、易々と植民地語の網目をすり抜けていく。一見、故郷は廃墟と化したように見えるが、廃墟まで追い詰められてから、やっと首をもたげてくる故郷の回復のあり方というものがあるのだ。