芥川龍之介による志賀直哉 ①
- 作者: 芥川竜之介
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2003/02/14
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芥川の評論
芥川龍之介と志賀直哉を結ぶラインがないかと考えてみました。
最晩年の芥川はそれ以前の技巧的な作風とは異なって、自伝的な作品を物したり、「玄鶴山房」のような破綻含みの作品を書いています。
小説の神様のような人にも迷いがあったのです。
このことを考える上でヒントになるのが、「玄鶴山房」と同時期に書き進めていた「文芸的な、余りに文芸的な」という評論だと思います。
芥川は小説家であると同時に、古今東西の文学や芸術に通じた大変すぐれた批評家だったそうです。
谷崎潤一郎との論争がきっかけとなって、芥川はこの評論を書きました。
簡単に言うと、谷崎が小説の本質というものが「構造的な美観」、つまり筋の面白さにあるとしたのに対し、芥川は「話らしい話のない小説」「プロットのない小説」こそが純粋な小説ではないか、としたのです。
技巧派の頂点を極めた芥川が、このように主張するのは意外なことです。
芥川は「詩人の目と心を透して書いた小説」あるいは「詩的な精神が流れている小説」が自分の理想の小説のあり方であると言いました。
理想は志賀直哉
この「文芸的な、余りに文芸的な」という評論で芥川が、一つの理想として挙げたのが志賀直哉でした。
芥川は志賀直哉をべた誉めしています。
志賀直哉は大作家ではないが、純作家だと言うのです。
芥川によれば、志賀の美点はいくつかあります。
○写生文の伝統を消化した描写上のリアリズム。トルストイより細かいディテール。「鵠沼行」
○人生を立派に生きている作家。清潔さ、その良心、道徳的な精神。志賀直哉の世界を狭めているようで実は広くしている。「暗夜行路」
○リアリズムの上に東洋的な詩的精神を流しこんでいること。「焚き火」「真鶴」
○ストリンドベルイに比すべき神経衰弱。道徳的荒廃の感に対する内部的闘争としての神経衰弱。「子を盗む話」「憐れな男」
芥川の目を借りて、志賀直哉の「濁った頭」を呼んでみると、どうなるのでしょうか。