夢十夜 ①
- 作者: 夏目漱石
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1986/03/17
- メディア: 文庫
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江藤淳
江藤淳のようなオーソドックスな評論家が『夢十夜』を読むとどうなるのでしょう。
鎌倉時代に生きた運慶が見事に仁王を彫るのを見て下馬評をする人たちが、漱石と同時代の「明治の人」というところに目をつけます。
それで「自分」が家に帰り、鑿と金槌を振るって運慶の真似をするが、うまくいきません。
「明治の木」には仁王は埋まっていないものだと悟ります。
それが、江藤にとっては祖父に当る世代の、明治時代に生きた日本人の芸術や文学における、痛切な痛みなのだと考えるのです。
一文ずつ丹念に読んでいった上で、その作品の本質と思われる部分を、首ねっこを掴むように掴んでみせるという批評スタイルです。
フロイト『夢判断』
ホームページを読んでいたら、『夢十夜』をフロイトの『夢判断』(高橋義孝訳 新潮文庫)を使って、漱石が実際に見た夢として読んでいるおもしろい人がいました。
例えば「第八夜」の金魚売りの話。夢の象徴化作用によれば、小動物の金魚は漱石の子供たちを現わします。
金魚売りは桶を五つ自分の前に並べます。
桶は赤ちゃんの産湯に使う桶で、五という数字は出産の回数を現わしまし。
執筆当時(明治四一年)の漱石には、長女筆子、次女恒子、三女栄子、四女愛子、長男純一の五人の子供たちがいました。
夢の最初の部分で、部屋の中に六枚の鏡が掛かっています。
これは妻の鏡子が当時妊娠しており、この年の十二月に六番目の子供である伸六が誕生しているというのです。
夢の象徴化作用
- 作者: フロイト,高橋義孝
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1969/11/12
- メディア: 文庫
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「さあ、頭もだが、どうだろう、物になるだろうか」という自分の台詞は、文字通り男根のことなります。
当時漱石は胃弱から性的不能を抱えていたといいます。
札勘定の読みが速い大柄の女というのは、出費が嵩んで金遣いが荒い妻のことを意味します。
桶の前に座っている金魚売りは妻の鏡子で、五人の子供たちを味方につけて、周囲の動きに目もくれずにただ座っているのです。
六番目の子が出来るのに、何もせず動こうとしない鏡子に対する漱石の不満があるというのです。
性的なものを含みつつ、経済的な不安や妻の鏡子に対する不満が、夢のなかで象徴されているというかなり恣意的な読み方になっています。
この精神分析的な読み筋では、「第六夜」の仁王も、たくましい男根の象徴となり、自分の彫った木から仁王が現われないというのは陰茎が勃起しないということになってしまいます。
「第十夜」で庄太郎が豚にな舐められる夢は、豚は多産系の女性の象徴であることから、妻の鏡子の象徴となります。
ステッキは男性性器の象徴です。
無尽蔵に鼻を鳴らしてくる豚を、七日六晩も叩いたので精魂が尽き果てたというのは漱石の性的な願望の表れになります。
漱石の隠された願望は、七日六晩も使えるようなステッキが欲しいということになってしまいます。